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母と、私の反撃日記 1

スマホと手紙が置かれてから、連絡は一切来なくなった。

それでも怖い私は、ビクビクしながら過ごしていた。


いつか家にいきなり来るかもしれない。


その思いはずっと頭から離れることなく、あらゆることを想定した。そして、その想定に対しての策を練っていった。

家に来られたら?→逃げれるようにしておく→そのために、必要なものは?→スマホを没収されたら?

帰宅して、なぜか家の中にいたらどうしよう。

このまま入社できるのかな?内定式出れるかな?

あの親に立ち向かうにはどうしたらいいんだろう?誰か今までいないだろうか?


色々と考えをめぐらし、対応策を考えた。

・住民票の転居届けをだす(スマホ契約などで、身分証明のステップが進みやすくなる)

・スマホを新しく契約する(没収されても誰かに助けを求められるように)

・マイナンバーの通知カードの再発行(マイナンバーの通知カードが実家にあったので必要な時に使えない)

・必要な書類をPDF化してまとめておく(奨学金をもらっていたので、その書類)

・家の中にあるものを整理し、減らす(すぐ逃げれるように最小の荷物に抑えた)

などなど、当たり前のようなことも行った。

(詳しくは下の記事にまとめているので、詳細を知りたい方は読んでみてください。)


怯えながら過ごす毎日は、気を張り続けなくてはいけず、精神的にきついものであった。

落ち着きがなく、ひたすら動き回っていた。

親が来たことによる恐怖が拭えないまま、漠然とした不安を抱きながら、気を張って常に警戒しながら生きていた。


私は、一人暮らしの家の家賃や学費を親に出してもらっていたので、今後その支払いもする気があるのかも分からず、学位を取れるかさえ危うい状況であった。

その状況は、曖昧であった。どちらかというと私は、白黒はっきりさせたかったので、連絡が来ないことをどういう意味に捉えていいか分からず、歯がゆかった。



そうこうしているうちに、11月も終わろうとしていた。

ただ、11月辺りから、ご飯を食べれなくなっていた。空腹を感じてご飯を食べるものの、すぐにお腹がいっぱいになったり、胃が痛くなったりしていた。

そして、11月終わりにはご飯を一切食べることができなくなっていた。

ミルクティーを飲んだら、満足なくらいだった。ご飯が喉を通らず、ご飯を食べても吐き気を感じるようになっていた。食べれてお菓子のクッキーくらいだった。


いつの間にか、体は食べ物を受け付けなくなっていた。


脳から指令が出て、全ての感覚が切れてしまったかのように、そのうち空腹を感じなくなっていた。

ぼーっとすることが増え、些細なミスが増えるようになった。

人と話すことも辛くなり、人と会うことを避け始めていた。

頭が回らず、人と話す気力がなくなっていった。

体がとても重く、特に腕は重く、体を動かす上でおもりのようだった。腕だけだったのが、体本体が重くなり始め、立ったり座ったりすることさえ、覚悟を決めて動かなければいけないような状況になっていた。

疲労しか感じず、家に帰ったらすぐに寝ていた。早く就寝するにも関わらず、早朝に目が覚めたりとしっかりと寝ているのかさえ疑問であった。


(なんでこんなにきついんだろう。)


そう思わずにはいられない毎日になっていった。



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