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母と、私の反撃日記 3

12月まで後何日、それをずっと考えながら、11月後半を過ごした。

そして、12月1日。私は沖縄へと向かった。

関西を離れる時、安堵しかなかった。

(やっと、やっと、この場所を離れられる。)

仲のいい友人と離れることは辛かったが、私としては一刻も母の知らない場所へ逃げたかったのだ。居場所の知られていないところへ。

大学の先生とは、1月3日にまた会いましょう、と言われていたために、1ヶ月後には戻る予定だった。でも正直、1ヶ月で症状が改善されるとも思っていなかったので、私としては、休みが足りない、とさえ思っていた。

1ヶ月間、友人の元にお世話になった。気の置けない友人と過ごす日々は穏やかだった。

着いた初日に、友人がお弁当を買ってきてくれていた。

アジフライ弁当だ。

食べられない状況の私には、普通の量にも関わらず量が多いようにも思えた。

(しかし、食べなければ。生きるために。)

そう思い、少しずつ食べた。結局、そのお弁当は一日がかりで完食した。

完食できたことに嬉しさと安堵を感じていた。そうやって私の沖縄生活は始まった。

特に何も決まっていない毎日を過ごした。

今まで会社のように、定刻に学校に行き、実験という業務をこなし、家に帰って寝て、次の日また学校に行くという生活からかけ離れた生活は、私を満たしていった。

ぼーっとしても、何も言われない日々は幸せだった。

そうやって、1週間ほど経った頃、いきなり母から連絡が来たのだ。

『会社の社長から、あなたに内定辞退を促すようにとメールが来ました。まだ目が覚めませんか?』

私は、その連絡を見て思い出した。

(そういえば、取締りの人が電話するって言ってたな・・・)

その連絡が行ったのだと悟った。しかし、変な点が多すぎる連絡だった。

(多分、社長じゃなく、取締役だろうな。だけど、内定辞退を促すってどういうこと?)

はてながいつも浮かんでいた私は、母にその内容を送ってくれと連絡した。

私が驚いたのはこの一文だった。

『このまま、ご本人が納得が行かず、辞退をいただけない場合には、・・・内々定の取り消しを通知するつもりで・・・・』

え、いつ、内定辞退になったの?

いつ、取り消しになるってなったの?

私は、パニックになった。なんで、聞いてない。どういうこと、いつ言われたっけ?この前そんな流れだったけど、その言葉は出てこなかったじゃないか。

泣くしかできない私はただただ、無力であることを思い知らされるだけだった。


その後には、母と電話したい、というような内容が書かれていた。私は、母にいつ電話するのかと聞いたが、母は電話には出ない。と言っていた。

この状態でもまだしがみつくのですか?

そんな事を言ってくる母なんて、もう、どうでもよかった。

とりあえずは、会社側に確認すべきだと思い、確認する事を母に伝えた。

それでも連絡をしてくる母。以前と何も変わってないことは明白だった。数ヶ月で変わるものでもないけれども。

相変わらず、言ってくるのだ。

『まだ、無様な姿を見せるのですか。私が、電話に出ず、あなたが辞退することが一番スマートな判断です。会社側の内定取り消しの意志は変わらないのであれば、あなたが何をしてもこの状況は覆せないのですよ。』

相変わらずだ。

全ての責任は私のせい。

この方程式はどうも母の中では崩れないらしい。


とりあえず、確認をするから、連絡が来たら連絡します。というものの、母からは立て続けに辞退しなさいと、連絡は来ていた。

そして、私は企業に確認のメールをした。


「このままでは、私は内定取り消しになるのですか?」


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