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母と、私の反撃日記 2

母からの連絡は、一切なく怯えながらの生活は続いていた。こんな曖昧な状況で内定式に出ていいものかも分からず、結局内定式にも参加せず、私は過ごしていた。

人事と月一で、近況報告をしていた。

10月の時点では、11月までに書類上の手続きやスマホの契約を完了させ、今後また親が来た場合に何をすべきかを、専門家に相談し、万全の対策を行うことを1つの目標にしていた。加えて、11月末から親に連絡し、同意を得ようと考えていた。

その進捗報告をしていたのだ。

しかし、11月にご飯を食べれなくなり、骨が浮き出るほど痩せてしまった私は、恐怖を感じた。

(何か、おかしい。)

私は、もうこれ以上、親と向き合うことが不可能なように思えた。

そして、人事に「親と向き合うことは、もうこれ以上無理です」という内容をメールしたのだった。

人事はその内容を上司と話した結果、後日上司の人との面談があった。

『うちの会社は、いつでも応募できるからさ、一回他の会社を見てみてからでもいいんじゃないかな。

会社としては、もちろん来て欲しいと思っているけど、個人的には親を悲しませてまで、押し切って会社に入るのは、どうなのかなと思うよ。

うちの会社は、いつでも来てもらっていいと思ってるから。』

そんなことを言われ、私は愕然とした。

(これって、辞退しろってことよね・・・?この場で言ったほうがいいのかな。でも・・・)

泣きそうで、大して頭も回らず、対応できない私は、「そうですね。」と言い続けた。早く帰りたかった。

『今回話した内容は、来週くらいに親御さんにもお話するので。』

私は、この面談の時点で、うつと診断が下されていた。そのため、来月からお休みを取ることが決定していた。来週には、休みに入っているはずで、正直、連絡して欲しくなかった。

(また、一悶着あるのではないか。ゆっくり休みたいのに・・・)

そんな思いもよそに、人事の上司の人は帰っていった。

私は、呆然としながら学校に戻った。駅のベンチに座り、呆然と一点を見ながら涙を流していた。

(こんな状況の私に、どうしろというの。もう、確実に限界で、いきていることがギリギリの私に、まだ、親に立ち向かえというの。もう無理だから、連絡したのに。なんでこんなことになるの。ねえ。)

動揺が隠せなかった。頭は混乱し、ひどく疲れていた。

結局、”辞退”という明確な言葉もでず、なんのために話に来られたのかもよく分からないまま、終わってしまった。

これを機にどんどん痩せていく。

12月からの休みが決まっていたが、11月の最後の週が一番苦しかった。

早く、早く、解放して。この苦しみから。もう、こんなところにいたくない。何も考えたくない。お願いだから。

そう思いながら、毎日を過ごした。

早く、姿を消したかった。この場所から。



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