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"上手くいかない"から抜け出したかった学生時代のトライアンドエラー

年代別 ”上手くいかない” から脱却するためのあがき

小学生時代

前回までに「何をやっても上手くいかない原因」がなんなのか?
と、考えながらトライアンドエラーしてきたお話をしました。

幼少期のトライアンドエラーは、お友達を作るための努力。でした。

でも、環境から?頑張っても他の要因に阻害され、なんとなくの努力では報われずに、イジメられるというのではなくても、"巻き込まれたくないからと離れて行かれる"、とか、"グループになる時にはハブられる"。というような現象が続いていました。
けれど、高学年になり、まだまだ試します。

お友達がゼロなわけではなかったものの、学校では仲良くしてもらえない。(私と仲良くすると巻き込まれて一緒にイジメられると困るから)
ならば、学校の外で仲良くしてそこから崩していこうということで、同じ居住区内の幼稚園時代からのお友達や、さらに年下の子たちと遊ぶようになりました。
より幼い子たちは近所のお兄さんお姉さんに遊んでもらえるというのでお母さんが快くしてくださったり、幼い子は見た目を批難することなく懐いてくれたので、心の平穏を保てた気がします。

そうやって逃げ場を作る中、少しアトピーの症状が出始めた弟も小学校へあがり、同じ学校に通っていても弟にはお友達がいてイジメられていない。
なぜなんだ!という疑問がまたやってきます。
意思の疎通が難しく擁護学級に通っていた子は学年の人気者で、言葉が通じなくても言うことを聞いてくれなくてもあんなに人気者なのはなぜだ!?

結果から言うと、同級生の人気取りをしようといろんなことを試しても、私は小学生で「友達100人!」みたいなことにはならずに卒業しました。

ただ、小学校での経験を踏まえた上で、同じ学区の子が少ない中学校への進級となったので、リセットが効く環境には恵まれたのです!
そこで学習成果が試せるか!?というところ、さらなるトライアンドエラーが始まります。

中学生編

思春期は色々ありますね。
急にクラブ活動などで「先輩」「後輩」なんていう制度が始まります。
これまで6年生のお兄さん、お姉さんは年下の子の手を引いて、集団下校しましょうね。な、世界に居たのに、大きな声だして挨拶しろ!な世界観でした。
それだけでもストレスなのに、ですよね。
違う小学校から来た子たちは先入観なく付き合ってくれましたので、イジメっ子も違う学校へ行ったし、ちょっとめんどくさい子は一緒だけれど、蹴られたり叩かれたりはもうしないか。と、思っていました。
しかし、中学生にもなると、今度は精神的イジメが始まるんですね。

キッカケは些細なことでしたが、私の知らないところでトバッチリ的な出来事があったようで、ある日、女子トイレの個室の中に、私の悪口が書かれているのを見つけました。

1年生の夏ごろ、席替えの後のこと…だったかな?
違う小学校から来た子が小学生時代から好きだった男の子と私が、くじ引きでどうやらお隣同士の席になった、自動的に同じ班にもなった。ということだったと思います。単なるとばっちりヤキモチですよね。でも、事は深刻化していきます。

子供たちの中では1人がイジメ始めると、その子はイジメてもいいというような免罪符ができてしまうのか、次々に敵が増えていくような感じになります。
最終的には女の子のグループというのは横のつながりが強いというのもあり、ひとつのグループから関係ない別のグループまで参加し始めると、一部の強めの女子のグループまでがイジメ始め、そうするとグループでつるんでいない弱めの個別の女子までもが、右へ習わなければ次は自分がターゲットにされる。という恐怖が芽生え間接的なイジメ(無関心を装う)が連鎖していきます。
男子は男子で、関係ないという子もいれば、やはり強めの女子に触られたくないのでできるだけ無関係を装いたい。

そうやって気づけば、学年中から無視されるような状況になり、私は透明人間になっていきました。
ただ無視されるだけではなく、エアで放たれる私への言葉の攻撃蔑みなどは多々あったので、体調を崩し、胃痙攣過呼吸で倒れることもあり、教室で授業を受けていられなくなりました。
努力どころか、ひたすら傷ついて、為す術なしでした。

それでもなぜか、不登校にはならなかったんですよね。
それは、唯一、大人になったいまでも繋がっている1人の友人が居たことと、学年に好きな男の子ができたからでした。(バレたらどんなイジメられかたが増すかわからなかったので、ひた隠しにしていましたけれど)
イジメられていても、せめて、彼の姿をひと目でも見たい…。
それが私の生きるチカラになっていたと思います。

思えば努力らしい努力を「がんばった!」とは言い難い時間ではありましたが、(ただただ耐え忍んだだけ)もしかすると自分には「学校に行かない」という選択肢が思い浮かばなかったのかも知れませんし、唯一の友人と朝、一緒に学校に行っていたということもあったかも知れませんし、学校に行かなくてもいい。という事自体を思いつかなかった、そんな手があるなんて知らなかったという感じかも知れませんが、何かひとつでも理由張り合いがあれば乗り切れるタイプだったんだなと感じます。

それは学校の中でも外でもいいかも知れないと思うのですが、何かひとつ、自分の助けになるものを見つける。そして、時には大人に助けを求める

あまりに体調を崩すので流石に親にもバレましたし、親と学校が話し合ってくれたおかげで、3年生のクラス替えでは学年でイジメに直接的に加担していない子ばかりを集めたクラスにしてもらうことができました。
3年になってすぐはクラスを跨いでまでイジメにやってくる子もいましたが、やがて高校受験も視野に入ってきます。それまでのイジメは自然と薄れていきました。

今、どの学年かで困っている子がいるのだとしたら、ほんの1人の友人からでも突破口が開けるかも知れないし、親に話すのは…と、ちゅうちょする子も居るかも知れませんが、味方になってくれるタイプの親であれば言ってしまうのも手ですし、味方になんてなってくれるかわからないとしても、言葉に出す事は大切です。

そこでダメだったり、学校の先生に話しても埒があかないなら、クラブや習い事、塾、親戚なんかでも構わないから、とにかく大人の手を借りる!その努力はしてみていいと私は感じています。
問題の大小に関わらず、自分で突破口が見つけられない、助けて欲しい!っていうときには、ちゃんと「助けて欲しい」と言うことが大切だと、私は大人になってからわかりました。

自分だけの小さな世界で苦しんだけど、今になって振り返ってみると、自分の外側の世界はとっても広かったんだな。と、感じています。
私は応援します。生き延びて、自分の人生の楽しさを味わってもらいたいです。

高校・大学編

と、前編で言ったものの、私の人生自体はまだまだ脱却からのチャレンジが弱く(耐えていただけでしたから…)半世紀生きた今だから言える。という感じですが、わかるまでは本当に長く苦しい時間を過ごしてしまいました。
私に少しでも行動を起こす知恵や勇気があったなら?という感じでしょうか。
それでもクラス替えに配慮してもらえたのは、大きな出来事でしたよね!

しかし思い通りにいかない。という問題は、なにも実は、人からイジメられる事ばかりにとどまらない、という事を体験するのです。
幼いころは見た目の醜さや思春期の人間関係などでわかりやすい攻撃性に悩まされましたが、高校生にもなってくると少し大人びて来ますので、自分自身だけの問題ではなくなって来るのです。自分を取り巻く出来事は、もっと複雑さを増していきます

ここで少しお気づきでしょうか…。

私は幼い頃から攻撃性の強い人たちからの被害を避けるべく努力をするということしか学んで来ていなかったもので、通常のコミュニケーションとはどんなものか?を、あまり体験してこなかったんですね。

ただ、唯一の友人がよっぽど寛大でわけ隔てのない子だっただけなのかも知れなかったという可能性すらありましたが、高校で私は引越し、その友人とは別々の高校へ進学しました。
これでまた、リセットとなったのです。

高校大学はそのままエスカレーターの学校で、受験のハードルは低くても、その分、高校生で失敗をすると、同じ学友と大学までずっと一緒ということにはなるのです。
これはなかなか大変なチャレンジです。
そして女子校でしたので、男子の目がない分、イジメがあったとしたらさらに陰湿化する可能性すらはらんでいました。

波乱の幕開け!?と、大切なスタートの時期、高校にあがってすぐの頃に、卒業した中学3年の時のクラスメイトが亡くなったと連絡をもらいました。

幼少期から小中とイジメが付きまとい、思えばずっとやられっぱなしでメソメソしていた私でしたが、まだ祖父母など身内も健在で人の死に直面するということはありませんでした。
初めて直面する人の死というものが、同い年のクラスメイトだった女の子だということがショック過ぎでしたし、さらに病気だったこともまったく知りませんでしたから、なぜ!?彼女が?という思いが拭えませんでした。
クラス替えのあとの3年生の時期、とっても優しくしてくれた良い子でした。

それまで、私の方が「この苦しみから逃れたい」「いっそ、この世界から飛び出してしまいたい」と、ずっとそんなことを考えながら、それでも結局、死ぬことも怖くてできずに生きていたのに…と。

私の中で、少しだけ何かが変わったのかも知れません。
ずっと死にたがっている自分なんかより、彼女の方がずっと「生きたい」と思っていただろうと感じました。

高校生からは、"ただやられるだけの自分" ではいられないという思いが功を奏したのか、わかりやすくイジメられる対象にはされませんでした。
逆に、昔の自分のように、何も文句を言わず、やられっぱなしで弱い存在の子に声をかけて、同じグループで行動するようにもなり、つるまない「その他」の集まりみたいな巨大な "グループ未満の集団" が出来ていました。
1クラスの人数が多かったのでそれぞれのグループの興味もバラけ、イジメだけに興味が集中することもなかったのかも知れません。
高校生なら、恋愛やオシャレ、メイクなど、興味をひくものもたくさんある時期で、それに救われる部分もあったかも知れませんが、それでも強い派閥の女子から白羽の矢を立てられるのは私で、何かしら矢面に立ち攻撃対象にされやすいのは変わりませんでした。けれど、幼少からのイジメられ経験値で鍛えられたせいか、自分が攻撃されるよりも友人や弱い子が攻撃され、心を病んだり学校を中退していく姿を見るのに辛さを感じるようになっていき、私自身もまた、それゆえに精神面で追い詰められることの方が多くもなっていきました。

幼さゆえの攻撃性から自分を守るのは、この場面では、自らの強い気持ちや、生きる気力を持つことがチカラになったかも知れません。
そして、学校の外にも自分の居場所世界を持てたことも、大きかったと思います。

大人になって思うのは、学校や、たまたまそこで一緒になっただけの同世代の人たちとの関わりは、ある意味、社会を生きていくための経験であり、修行みたいなものに感じます。それはのちに、企業という社会の中でも同じに感じました。
全然それがすべてではないのに、時には苦行を強いられます
けれど、それを避ける方法はいくつかあったことに、渦中にいると気づけませんでした。

前回のお話「何をやっても上手くいかない原因」
の、「すべての原因は自分にある?」ということを書きましたが、この時期にもまだ私はわかっていませんでした。でも、やっぱり、すべては「自分(本人)の中にあること」を、ここでも実は体験していたんです。

でも、それに気づかないまま、まだ抜け出せない時間を繰り返していました。
(もう少しだけ続く…)


すべては「自分の中」に?

*詳細な出来事に関しては一部フィクションを交えていると思ってお読みください。

企画・編集ディレクター、PRプランナー、商品企画・開発、広報支援、EC運営にカフェ経営、イベント企画進行などなど。あらゆることをやってきて身につけたアレコレ。投げ銭✨徳積み大歓迎です🌟いつもありがとうございます!