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「思い出なんかいらん」 - 頑張った日々は「今」を一生懸命に生きる糧である。 -

画像:ハイキュー!!280話、古館春一先生、集英社

ハイキュー!!を観たり、読んだりする時は、正座をしてしゃんとしなければ、と思ってしまう。
全力を尽くしている彼らに申し訳ないと思ってしまうから。

もともと他人のマンガの考察を読むのが好きで(単にネタバレではなく、解釈について書いてくれているもの)、マンガ考察について研究したら面白そう、と考えていて。ついつい自分の好きなマンガのものが目に入ってしまうのだけど、ハイキュー!!ファンにこんな人がいた。

「全部!!! 俺の筋肉や!!!!」
(中略)
稲荷崎高校でのバレーボールは、"思い出"なんかではないのです。

この筆者の事はあまりよく存じ上げないけども(ごめんなさい)、この方の考察を読んで、すとんと理解できたことがある。

『「思い出なんかいらん」って横断幕の意味は、頑張った日々は「思い出」なんかじゃなく「今」を一生懸命に生きる糧である』ということ。
最初に、私が稲荷崎高校のこの横断幕を見た時は「尖ってるな〜」という印象だった。ガンガン前に挑戦していく、稲荷崎の感じなんやな、と。
個人的には北さんみたいに、積み重ねとか大事やし、好きやないな、って思ってた。
でも、『頑張った日々を「思い出」とするのではなく、「今」を一生懸命に生きる糧にしているんだ』という解釈が、今の自分のあり方と重なって、なんかじんときた。

「いろいろ犠牲にしながら頑張るの、すごいね」と褒められたことがある。うん、相手は褒めていた。でも私は何を犠牲にしているのか分からなかったから、少し戸惑った。
何かを置いてけぼりにしたり、疎外をしているつもりは何もなかったから。
でも稲荷崎の横断幕の解釈と同じだったら、と考えると、言葉の意味がすんなり理解ができた。

もしかしたら、私が「犠牲」にしていると思われたものは、「思い出」だったのかもしれない。
先へ先へと動くことを、今じゃない場所へ挑戦することを「過去を犠牲にしている」と思われたのかもしれない。
でも私は犠牲にしているつもりではなくて、「今」を一生懸命に生きる糧にしているだけなのだ。

今まで、自分の中で色んな挑戦をしてきた。その結果に泣きもしたし笑いもした。「達成」できた目標もある。でも、私は歩みを止められない。
止めてしまったら、過去の頑張った自分に負けてしまう気がするから。
自分には、負けたくないから。

たまには休もう、とは思う。
でも、挑戦は止められない。

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