大学生活これで良かったのだろうか

おはようございます。梅雨入りしてジメジメする、夏の始まりを感じるコンクリートの匂いが今年も半分が過ぎたと焦燥感を煽るような気がします。

私は小学生の頃から負けず嫌いで、何をするにも一番になれと言われ、一番になることが正義というような意識が無意識に生じていたと思います。

そのため、小学生の頃はテストの点数も上位キープ、中・高も評定が良い方でした。何するにも好奇心があったため、“できることはします。”そのようなスタンスでした。
そうとは言いながらも、私を評価してくれていたのは身近な人、友人や先生方であり、成長する過程でその評価基準が必要とは言いながらも、その枠外に出るという意識はありませんでした。

大学に入学。私が入学したときはコロナ禍真っ只中で、オンライン授業、外部での取り組みなどはなかなかできない状態でした。

コロナだから仕方ない、そのようなことを思って開拓するということは避けてきました。
しかし、特待生で入学した学校、現在まで成績優秀者として採用され学業という面では励んできたつもりでした。しかし、この学業がどのように将来にリンクするかということはあまり考えられていなかったと今になって思います。

それは、学校内で“できることはします。”を続け、親や他の人のためにしたことが自分に喜びとして返ってくるなら良いという良いようだけど、自分を縛り付けてしまう感覚にあったと思います。

“利他愛”
中等教育の集団生活で私が学び、大切にしてきたものです。

私ができる最大限に向き合い、そのことを通して自分も成長できるという感覚は大切ですが、それ故に自分の人生を投げやりにするのも勿体無いと思います。早く気づいとけばとも思うのですが、自分が育った環境、出会った人はどうであれ自分の人生の財産であり、いろんな感情を教えてくれた教育者でもあると思います。

後悔とこれから。ポジティブとネガティブ。相反する言葉に挟まれ自分は悩みから抜け出すことができない、解決策なんか知らない、人間なんか向いていない、悲観的な感情がさらに自分は不幸な人だ、どうしようもない、とすることはわかっていながらも、きっとそれが癖になっていたのかなと思います。

そんな私は、前から好きだった読書、最近始めた早起き瞑想、適度な運動、あとはもっと感謝!大学卒業まで欠かさず続け、使命感なく、中身ある習慣として構築します。

膨大なインプットをアウトプットできるようにこのページももっと活用します。

習慣!

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