それぞれの感受性で。
7月に「君たちはどう生きるか」を映画館で見ました。ネタバレや分析をせずにただ感じたことだけ書いてみます。(ですが、これから見る予定の方はあえて読まなくていい気がします!書いておいてなんですが!笑)
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なんの前情報もなく映画館に行き、上映中は駆け抜けて、観終わった時には放心。そんな感じだった。
いくつかのシーンとセリフが強く残って、本編が終わって主題歌が流れた時に、歌詞の一節が心に刺さって、涙が止まらなくなったり、した。
細かな点は全く理解が追いつかない。でもその分、断片的に強く残ってる印象。きっと一人一人心に残るシーンは違うのだろうと思った。ネットなどで他の人の感想を見たり、考察を読んだりして、自分この余韻を壊すのは嫌だなと思った。
映画を見た友達と感想を言い合ったら一人一人心に残ったシーンは違って、感想も違って、それを共有し合うのは楽しかった。
正解や、「このあたりが正解らしい」ということを気にせず感想を言い合えるのは楽しいと思った。
8月に入って、パンフレットが発売になったと聞いて映画館へ走った。入手してみてみると、そこには宮崎監督が制作に向き合った時の短いエッセイと、いくつかの映画のシーンと、米津玄師さんの主題歌の歌詞、そしてエンドロールで流れたキャストの名前と、それだけの内容だった。
「観る人の感性に委ねられている!」そういう映画なんだと改めて感じた。
パンフレットに答えが書いてあるのかも?なんて思った自分がちょっと恥ずかしくなった。パンフレットを見て、また映画のことを思い出した。あの時のあれはきっとこういうことかな?などと自分の中で反芻した。
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先日友人とこの映画について話した時、彼女が言ったことがとても印象的だった。
「あの映画はインスタレーションに近いのではないか」と。
見た人がそれを見て体感すること。そこに重点が置かれてる、と。
とても腑に落ちた。
私は瀬戸内海の豊島にある、豊島美術館がとても好きなのだけど、あそこの展示がまさにインスタレーションだと彼女が教えてくれた。
確かに豊島美術館も実際そこに身を置いて、五感を開いて感じること、言葉で理解するよりも自分の体感したことを大切にしたいと思う場所。
あの映画の体感はそれに似ているかもしれない。
映画を通して私が感じたポイントは、今の私の感受性がフックになってのことだと思う。これまでの人生で培ってきたもの。私の関心。人によっては、「そんなところが残った?」と言われてしまうかもしれないけど、私は私の感じたポイントがとても腑に落ちた。
何が正解かを議論することで誰かに自分の感覚を上書きされたり、優劣つけたり、そういう土俵には乗せたくないなと感じた。白黒つけることに意味はなく、曖昧さをそのまま持っておきたい。自分が感じたことを声の強い誰かの感想と比べて、小さいものとしたくないという感じだった。一人一人感じ方が違うことに意味があるし、それをもとに感じきったり考えていく時間が自分をつくっていくのだと思う。そして、あなたはどう感じた?私はこう感じたよ、と話をする、この映画がもたらしてくれるのはそういう豊かな時間な気がしてる。
この夏私があの映画を見て、感じたのはそんなこと。
前情報なく、販促もかけず、解説もしない。手垢まみれにならず作品を残したいという意志も感じた。とはいえ、もうどこかで詳しく解説がされてるのかもしれないけど。解説は見なくてもいいかな、というのが今の気持ち。
米津玄師さんと菅田将暉さんのこちらの対談、良かったです。
以上。
2023.9.10追記↓
こちらの米津さんラジオ配信も素晴らしかったです。
これを聴いて、もう一度映画を感じに行きたくなりました。
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