終電車は吸い込まれてゆく

今日は取り分け取り繕った自分で過ごす日だった
それは悪いことなんかではないと分かっていても
演じている時間に別の自分が顔を出す

それは社会的な存在として、企業に属する人間として必要なことだからしていると自覚する一方で
いったいぜんたい何をしているのだろうとも思う

それをしないことを少しも立派とも思わないし
それができないことはハサミで紙を切ることができないと言っているのと同じくらいにも思うし
とはいえ、そんな表層的なやり取りが立派だとも思わない
そこにもはや葛藤も問いも薄くしか生まれないことが問題だと思って混み合った終電車に乗っている

本当は載せたかった意味あるコラボレーションも
間に合わずに1日が終わろうとしている
酔っ払いがふらつきながらドア前にいて
まさか吐いたりしないだろうな、と牽制する

いくら遺すために書いているといえど
こんなことまで遺す必要なんて少しもないはずなんだと逡巡する
続けることに意味があるのではなくて、意味あるものを続けることに価値があるんだ、と咎める

どうかそろそろset me freeの矛先が正しく伝わっていますように

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