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相続しようとしたら知らないままでは終わらなかった話⑤

父が亡くなったのは4月下旬。5月に入ってすぐに他に相続人がいることがわかり、司法書士さんにその方の戸籍と附表を取り寄せてもらった。

私はこういうことに疎いので、相当の理由があれば他人の戸籍を取り寄せることができるのを初めて知った。世の中にはまだまだ知らないことが多い。そして知らなくてよかったこともたくさんあるのだと思った。

相続人の住所と名前から検索をすると、ご自分でご商売をされているらしく、それは社会的にとても意義のある職業と思われた。働く業界に接点はないし、住所は私の住んでいる場所からかなり遠い。おかしなことになるリスクは少なそうだ。よかった。

司法書士さんから「相続人に経緯を知らせて相続について考えてもらうよう自筆で手紙を書いてください」と指示がきた。自筆だけサインでいいかと聞くと「こういうものはなるべく自筆がよろしいかと思います」ときた。お手本になりそうな文面を探して練り直す。相続を放棄してくれとは言えないが、それをにじませたい気持ちはある。だがはやる気持ちはおさえて、まずは父が死んだこと、相続の手続きで相続人の存在を知ったこと、相続権があるので協議のお願いで締める文章にした。

白い便箋の前に姿勢を正して座ったが、なかなか清書にとりかかれなかった。こういう時は万年筆だ。でもこの万年筆はこんな時のために買ってもらったのではない。数年前、会社で昇格した私に「人前に出ることも増えるだろうから」と家族がプレゼントしてくれたものなのだ。たいした役職ではないのでいまだに人前に出ることはない。でも書き味は素晴らしいし、蓋がカチッと締まる感触は安物ではないそれで、お気に入りの一品だ。だからこそ使いたくなかった。

未だに払しょくしきれないが、この頃はこの事実を全く受け止められなかった。考えると気持ちがざわざわするので、事務的にさっさと終わらせることに集中していた。意を決して清書すると我ながらきれいに書けた。これなら失礼がないだろう。この万年筆で書いたんだからきっと大丈夫。

ポストに投函する時はドラマのように大きく深呼吸した。相続放棄の返信がきますように、と手を合わせたことはここで初めて告白する。ごめんなさい。



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