週末おめでとう

酒を飲んで文字は書けるか。以下わけがわからないかも、ごめんなさい。眠りそう、意識を保つのを頑張る。
友達とLINEしてて言葉分が減りそうな気がして勿体無く感じた。言葉分の脳が減っちゃったら困ると。瞬間瞬間でのひらめきは有限であるからして、細切れにメモをとるのが有効手段。面倒がらなければ。脳は口が減らない。パニックの最中でも言葉が発生しているのは確認済み。言葉が発生して、言葉に飲み込まれて、意味をなさなくなっていく。
金曜、仕事終わりに今週が忙しかったから、飲むしかない、飲まないでどうする。欲望が物質にひらける。酒に重心預けるのは最後の手段じゃなかったか。しかし使っていこう。1人では飲みたくない。誰か、誰か、と思い当たるのが1人しかいなくて、誘ってみたものの、待てど暮らせど返事が来なくて、ラーメンの麺を、沸いたお湯に落とす直前までスマホの通知がこないかと画面を眺めていた。その人は予定がありダメで1人酒。酒飲んだくれて文字を打つ。

寂しくて県外に住む大学時代の友達にラインした。
辛いことがあったとしても、その友人はこう考える。「前世では、今のあったかい布団でぐっすり眠れて、食いっぱぐれのない人生を望んでいたかもしれない。今は幸せだ」と。想像の補助線を引くことで、今が苦しくても逃げられると。仏だ、強靭な肉体に宿る仏の精神。
私は頑張ったんだ。すごいんだ、と主張したい気持ちがあっても、この友人と話すと、はるか上をいっているので自意識が霧散する。尊敬が効能であるからして、薬効が広範囲に強い。その子の言う、私はまだまだ、という言葉の中には、今後の伸び代への期待が詰まっていてきらめいている。
ルームメイトのなんでもYESと言ってくれる子を誘えば回避できた。私の話をなんでもうんうんって聞いてくれる人。利用するみたいになるから頑張って、それをしないようにした。なんでそこを頑張るのか。するしないの境界線がどこに引いてあるのか。欲望のままに振る舞えば捕まえやすい人物を捕まえて、手っ取り早くジャイアンになれるのに。そうするのが気が引けるのはなぜであろう。思うまま行動できる方が仕事ができる気がする。処理が早い=仕事できる。どこかで、例えば部下に管まく上司の悪い例とか見て、ああはなるまいと思ったことがあるのだろう、そんなところだ。自分に見張られて欲望のまま動けない窮屈な時代だ。しかし誰かが苦しむのを事前に阻止できるなら、先代の悪例もいい仕事をしている。
年下にお姉さん風吹かせたがる自分を思い返すと、気持ち悪くてウワァと実際に声が出る。何かの役割を演じている自分というのが、総じてどうしようもなく気持ち悪い。女だとか、先輩だとか、親からしたら子どもだとか、その立場でいるのは気持ち悪くて逃げ出しがち。空気に呑まれて役割を演じた日には後日フラッシュバックでワー。1番心地いい立場というのは、誰かに命じられたらハイハイと動く、部下とか後輩とか歳下の位置であると認める。

一杯一杯また一杯。いただいだ純米大吟醸が美味い。

言葉を使うと自分が消費されるのか?違う、思いもよらないところで嫌でも溢れてきてしまう。書いても書いても追いつけやしないので、何もかも書いた気でいたとしても、何も書けてないのだから安心して何もかも書く。ポジティブなニュアンスが浮き始めてきたら、それ以上何も出てこないサインで、その時は多幸感に浸るのが正解。オモシロはポジティブとは逆の方向にたくさん眠る。山頂は一点しかないのと同じ。強迫観念にとらわれず、幸せならよし。強迫観念も目指すものがあるならば持つのが正解。

今週を振り返る。見ないふりしたから後から噴出したと、今日のお昼ごろの私は思ってた。肩痛い、腰痛い、関節痛い。ペース配分考えなかったせいで、後に風邪を引く羽目になるぞ。しかし当時の私は何もかも早くて楽しくてたまらなかった。矛盾がなかった。それで走っただけだ。困難を体力考えず面白がっていた。そんな子どもみたいな時間があって楽しかった。泣いたけど。

反省しない。また無敵時間にやってきてほしい。

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