別のしかたで


昨日の映画の会は、名前を知らなくてあまり話したことのない男の人の隣に座ってしまって、気まずかった。直近のインターナショナルな集いが男女関係ない感じだったからその名残なのと、お腹が空いて判断力が低下して、何も考えず入り口から1番近い席に座ってしまった。とにかく気を使って疲れた。手に力が入ってぐーぱーしてほぐすけどこわばって痛かった。帰ってからもぐったりして、風呂に入ることもできなかった。その前の日に頭を洗ってなくて痒いのに二日連続シャンプーなしなのは辛かった。
なんで隣に座るだけなのに変な空気になっちゃうんだろう。変に気を使っているのは私だけなのだろうか。そしてそれをなんともできないんだろう。不思議だ。みんな友達のはずなのに。このことはのちの人間関係にとって重大な影響を及ぼしてしまうため、真剣に考えたい。
まず、気まずかったらその場を離れないといけない。席どりに失敗して、居心地が良くなくても、移動すればいい。私が居心地悪いということは、その人も居心地悪いと思っているはずだから、移動したからといって気を悪くされることはなく、感謝されるはず。昨日は狭い部屋に椅子をぎゅうぎゅうに並べて暗い部屋で映画を見たから、移動するのはできなかったわけですが。
移動もいいけど、どこでも気まずくならないようなカラッとした私でいたいと願う。オープンマインド。徐々に徐々にで。伺いを立てる。私はこのような人であると発表する。私が気まずくしたんだ。反省。体は強張るし、映画はエロいし。気忙しい。あの会ではエロい映画もやるんだなぁ。なんでもありだった。楽になりたい。どうやったらいいのかわからないけど。無表情で怖がっている人間でいるのは嫌だ。内心ビクビクしながら過ごすのは嫌だ。居心地が良くないと嫌だ。居るだけで疲れるなんて、目指すものからはもっとも離れたところにある。話に入れない時もある。テンパって話に入れないときはどうしたらいいかしら。みんなで楽しくなるにはどうしたらいいかしら。楽しい楽しい毎日を過ごすためにはどうしたらいいかしら。不平不満なく、おだやかに、病気なく、気の重い宿題を最低限にしたい。気まずいを科学して、解明してほしい。そうでないと私の人生設計に多いに関わる。
自然の繊維は洗濯をしなくても風を通していればにおいが取れると。いいことを聞いた。ならば、木綿の高いものを買って永遠に洗濯せず長く着たい。その方がお買い得だ。着物はそのように着るのだそう。映画の会に良く来る謎の多いデザイナーの人が教えてくれた。
映画の会はお互いに名前を知らない人の集まり。距離が微妙だ。もっと繊細に事に当たらないといけなかった。なんじゃそりゃ。私が苦手だった。私のせいだった。映画の会、不思議な場所。
気まずいと人は離れる。気まずくないと人は寄ってくる。人間は変だ。不思議だ。
楽しむためのいろんな方法。どうしたら楽しくなるか。楽しくなる方法を探る。もっと他のやり方で。違う仕方で。いろんな方法で。

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