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あの日の私のこと。(いもうと)

亭主関白な歌はさだまさしですね。「関白宣言」。「関白失脚」てのもありますのよ。

ピッチャンチャン問題。ええっ、標準語ではアクセントが「チ」なの?イメージしてみるのだけれど、どうにもよくわかりません。私は「よ」うちえん、「い」す、と発音してしまう生粋の北海道弁話者だけど、こと此処については「ピ」ッチャンチャンと読む方が、雨粒が地面や水たまりを叩いて音を出す雰囲気を出せるのではないだろうか……


さて、私の現状を「かっこいい」と評してくださることについて。そしてあの日の私の「覚悟」について。

実情は例えて言うならば、嵐の海で羅針盤がどちらを向いているのかわからなくて舵を手放したら、幸いにも転覆する前に岸に流れ着いたようなもの、です。人の目や評価が気になってたまらなくなり、仕事の優先順位がつけられなくなり、数分前に決めたことが思い出せなくなり、朝起きた途端に涙が止まらず、でも休日に出勤しなければ滞った仕事は終わらない。でも何からやればいいのかわからない。
ちょっとずつの歪みが、どうしようもない状況になりました。

一体どうしてこんなことになったのだろうと、一日中布団の中で泣きました。何も引き継がずに仕事を休んで申し訳ないと自分を責め、戻れもしないのに復帰するのかしないのかという話が会社から一向にないことに落ち込み、自分はやはり何もできない、いらない人間なのだと思って絶望しました。流された果てに、自分の船を壊して失った。大変なことなんて誰の人生にもあるのに、私だけがリタイヤしたと。
心配も批判も聞いている場合ではなかった。もう聞こえもしなかった。
「自分にとって存在価値の大きいもの」を「覚悟」があって、捨てたわけじゃない。

やめないという選択も転職するという選択も、きっとあった。それでも私は夫の愛情にありがたく甘えて生きる方を選んだ。選び続けるのが生きることだと思います。ときには選ばないまま進んだと思える時も、やはり選ばないことを選んでいる。選んで選んで、ここが世界の果てです。
でもこれ以上壊れないための策をとり、今わりと幸せに生きているのだから、これは私の生きる道でした。かっこいいとは思わないけど、捨てた甲斐はあった。

特別支援学校にとびこみ、子どもたちと取っ組み合い、苦悩しながら一緒にいきていたあねを、だんご3兄弟の母やってるあねを、おからマフィンのレシピを研究してたあねを、いつも洒落た服を着ているあねを、自分の財布を手放さないあねを、私は余程かっこいいと思うよ。

自分が何者であるかを知っていることを「自立」と定義すると言うこと。
なるほど、「自立とは依存先を増やすこと」という考えも私は好きなのだけど、2つは全く矛盾しない。自分の大きさを知り、立場を知り、また相手の事情を慮り、適切な人に適切な言葉で、適切なタイミングで助けを求められるのは自分のことがわかっているから。あの日の私は、自分を過大評価して全く言えなかった。「助けてください」。自立などできていなかったのは私も同じ。

また、これは夫の受け売りなのですが、「『個人』を定義するためには『他者』の存在が不可欠である」と言う。
この世にいるのが私一人きりなら、たぶん何の感情も持たず、自分が生きているということにさえ気づかない。他者の存在を写しながら、比べながら、自分を形作るのだと思う。他者に認識されて、私は社会にある。のぶちゃんはのぶちゃんなのだけど、彼のかっこよさは、あねにかっこよいと思われるからこそ、ある。私が流れ着いた果てみたいに思ういまも、あねがかっこよいと思ってくれるなら、かっこよいのだろう。ありがとう。


創造性について、自立について、考え続けるあねを見ていたら、あの歌を思い出しました。母校の校歌。

「みがかずば 玉も鏡も何かせん 学びの道も かくこそありけれ」

みがこう、私たち。覚悟して。


いもうと。

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