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ふるさと(あね)

いもうとへ

浜辺の歌、懐かしいです。合唱部だったあなたの、澄んで伸びやかなあの声で、歌ってほしいと思いました。

ちちの弱音を知って、泣きました。5つ歳の離れた私とあなた。私が高校卒業と同時に家を出てからの時間は、ちちの側にいるのは母とあなたと、さらに小さな弟だった。体も心も老いを感じ、余計に怒りっぽくなっていったちちを、あなたたちが支えていたのだよね。ありがとう。ごめんね。ちちの怒りの傾向と対策、喜ぶツボや許せる心を1番持ち合わせていたのはきっと私だったのに。何もできなかったことが、やはり、悔やまれます。

この間、ショックなことがありました。あの子の死から立ち直るために、持てる権利を行使して、上限の3年いっぱいを休もうとしている私に、ある方がこう仰ったのです。

「現場はあなたに辞めて欲しいと思っているでしょう。」「3年も休んだら、使い物にならない。」

私とて、休職する同僚を何人も見てきたけれど、辞めて欲しいと思ったことは一度もありません。使い物にならない、という言葉もとても出てきません。人が、人に対して言える言葉ではないと私は思うのです。誰もが、いつ、どうなるかわからないと思うからです。権利や制度は、使っても良いはずなのに。現場に遠慮して退職を余儀なくされるのであれば、その制度は定着しないのではないでしょうか。

けれど私は彼女を恨んだり、絶望に追いやられたりはしませんでした。その言葉は、その方なりの正義の主張だったのだと思います。彼女に悪気がないことも、彼女とのこれまでのお付き合いから知っています。言葉の、その背景にあるいろいろを思いながら、そっとそれを胸の内にしまいました。私はあの子を亡くしてから決めたのです。この世界は一続きであり、自分の判断で分つべきではないと。どんな人とも、どんな事とも、私たちはつながっている。世界は複雑に絡み合い、私たちはその世界の中から気づきを得て、成長していくのだと。

***

少し疲れた私は、月に一度のカウンセリングの場で、先生にそのことをお話しました。あの子の病院に、私は未だ通わせていただいているのです。先生が言いました。「自分が安らげる場所や匂いを思い浮かべてみて。」と。

私は、ふるさとの冬を思い浮かべました。くっきりと浮かび上がる白い山々。ダイヤモンドダストがきらきらと輝く朝。寒さを忘れるほど美しい樹氷。伏流水のチョロチョロと流れる音。冬の匂い。そこでおにぎり屋さんを開いた、友達の優しい笑顔。

涙を流しながらそれを思い浮かべている私に、先生はこう言いました。「その情景に、タイトルをつけてみて。」私の口から出た言葉は、「ふるさと」でした。それから先生は、「苦しいことがあった時、ふるさと、と言ってその情景を思い出してみて。今どんな気持ちかしら?」と仰いました。私はこう答えました。「大丈夫。大丈夫だという気持ちです。」

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷
如何にいます父母 恙なしや友がき
雨に風につけても 思いいずる故郷
こころざしをはたして いつの日にか帰らん
山はあおき故郷 水は清き故郷

ちちの怒った顔も、凍えるような寒さも、田舎すぎて出て行こうと思ったあの頃の私も、そして悲しみの淵にいる今の私も、ふるさとの情景は受け止めてくれる気がしました。

ふるさとも、歌ってください。あなたの澄んだ声で、歌うふるさとを、聴かせてください。


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