考えることは、良いことともいえないかもしれない。(あね)
いもうとへ
ご無沙汰…
3月末にはほんの少しだったけれどあなたと会えてよかったです。
ところで、あなたと往復書簡を始めてとてもよかったと思っています。それを箇条書きにしてまとめたいと思います。
①自分の気持ちを整理することができる。しかも時間をかけて、何度でも修正することができる。
②読み返すことができる。あの時のあの気持ちに、そのままアクセスしたい時がある。
③知っていたようで知らなかった、あなたの内面に触れることができる。これは多分、双方向のやりとりである会話からは難しいことがある。書くことは相手の反応を見なくても良いから、息継ぎしないで話せる。
つまり、これらは書くことの効能なのだと思います。そして私は書くように生きたい、とすら思っていました。
考えているのよ、いつだって。あー1人になって考えたいのになぁ、って子どもたちにも思う。
三男を亡くしたことがより一層そうさせていた。考えても考えても、答えも出ないことだけれど、考えることでしか自分を保てない。そして人の考えに触れて、学ぶことでしかこの悲しみを乗り越えられない。
でもそれって欲なんだね。
ヨシタケシンスケさんの、この本より。
さて「欲」といいますと、人には様々な欲があるわけですが、そのうちのひとつに、「納得欲」なるものがあるように思うのです。人がついつい考えすぎちゃう理由のひとつが、この「納得欲」という欲望のせいではないか、と思ったのです。
納得欲の強い人は理屈や理由を追い求めがちで、納得欲の弱い人は、生きていくうえであまり理屈を必要としない人なのでは、と。
つまり「考える」とは、納得欲の強い人が、みずからを慰めるために行う活動なのです。
納得…!!
考えることが良いことだと思い込んでいた私は、単なる欲深い人間なんだよ、と肩を叩かれた気分。もっと感情のまま、身体を、手を、考えず動かせば良いのかもしれない…
そんなのわかってる人には当たり前のことだろう。ちょっと偏ってた。偏っていては、善も悪になる、修正して生きよと禅の教えにもあったなぁ…
欲深いと言われたら、ちょっと考えるのもためらうわ。
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