見出し画像

『雪みたいな粘菌』 を観る

真夏の森に涼やかな粘菌が生えていた。ツノホコリ…の仲間なんだろうか。似てはいるけど繊細さがまるで違う。

 

 

こういう時にはGoogleLensも役に立たない。ダメでもともと。そう思って検索にかけてみたけど結果は「雪の結晶」という判定だった。

 

 

まぁ「涼やかだよね」とAIからの共感が得られただけでも良いものだねと。今度もう少し調べてみようと思いながら、友達のイワナ釣りを眺める日を送ったりしておりました。

 

 

活動のほう?やっておりますよ。

それはもう頭をギリギリと回転させています。

 

 

なにせポッドキャスト。

新しい形のメディアを通して活動を成り立たせていくというのは、やはり並大抵のことではなくって。

 

 

いわゆる論理的な思考と、いわゆる創造的な思考。そしていわゆるビジネス的な思考と、いわゆるアート的な思考。

 

 

おおよそ4つの異なる考え方を駆動させなきゃいけないんだけど、説明するのがまぁ難しくなってくるわけです。しかも思考の果てに「ひとりよがり」にならないよう、注意しなければならない。

 

 

無事に「ひとりよがり」にならなかったとしても、自分だけが解像度を上げまくったならば、理解を得るための翻訳難易度も上がってくるわけです。

 

 

そんなことすっとばして合意を得てポッドキャスト作ればいいじゃないか!という反論も浮かぶけど、いやいやいや…。それじゃあタダのバクチになっちゃう。

 

 

しかも自分のバクチに他人を巻き込むという。いやそういうヤバいエピソードを持つ巨匠も沢山いるけれど、流石にそういうことはしたくない。

 

 

逆に論理的にフツーに考えれば「石橋を叩く」でいいことも多かろうと思う。けど、それじゃ新しさなんて生み出せない。よくて新しいものモドキで、大体の場合は1000番煎じ。

 

 

どっちでもなく、ふかーく熟考した末に新しい活動に「踏み切る」。

 

 

この結果生まれるものこそクールだと思っているし、過去の系譜をも踏まえた先に本当のオルタナティブがほとばしるんだろうなと。

 

 

たとえば「新しさ」でさえも、過去の文脈を丁寧に解釈した先に生まれる相対的な尺度上のものなのだと謙虚に徹底的に考え続けなきゃいけないんだろうなと思っております。

 

 

というのが、急にクリエイターになった末に「黒澤明」やら「藤田和日郎」やら「平沢進」やら、創る活動を長く続けている人たちのことを深ぼって得られた感慨でした。

 

 

とはいえ頭はもともと論理に寄り切っているので、これを活かして資料を2こ作るのが今日のミッションです。新たなポッドキャストへむけて動いております。

 

 

KANNNOME最新話「釣り回」のラストも今日リリースします。かなりおもしろいぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?