02. 弥生狂騒曲④ (ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ)
夏の日差しが辺り一面容赦なしに降り注ぐ。空は文句なしに晴天で、日焼け止めをもう少し塗れば良かったなと、首筋の辺りが少し気になる。
ばしゃばしゃ跳ねる噴水の涼しさが唯一の救いだ。夏休みとあってか学生は見当たらず、この場所はまるでわたし一人の空間だ。
遠くに、こちらへ近づく人影が見えた。約束の相手。わたしの待ち人。二人きりで会いたかったので、わたしから呼んだのだ。
「来てくれてありがとう」
わたしは立ち上がる。そして、相手が目の前まで来たところを見計らい、話しかける。
「孝太郎君に、話したいことがあって」
「いきなり本題?」
「だめかな」
「好きにすれば」
「わたし、秋彦君と付き合うことになった」
彼の方から呼び出され、告白を受けた。わたしの方からそれとなく仕向けた結果だ。
だが、告白をしたのは彼で、わたしではない。
三人のバランスを崩すきっかけにはなったかもしれないが、わたしは何もしていない。自分の手は汚していない。ずるいと思うが、わたしは事実を語る。
「秋彦から聞いたよ。おめでとう」
「本当にそう思っている?」
「だから、おめでとう」
孝太郎君はあくまでそっけない。
これ以上続けても無駄だろう。そう判断し、わたしは話題を変える。
「あの時、わざと無視した?」
あの時、とは地下室へ侵入した時のことだ。散々呼びかけたにも関わらず、孝太郎君は一人で進み、少ししてからひょっこり帰ってきた。あの時あの状況で、わたしたちの声が聞こえなかったはずはない。
孝太郎君は「考え事をしていたから」と言ったが、たぶん本当はそうではない。今日彼をここへ呼んだのは、それを確認するためだ。
「孝太郎君が一人で進んだ理由」わたしは彼の目を見て言う。「それは、わたしたちを二人きりにしたかったから」
「つまり?」
「わたしと秋彦君を二人きりにして、その様子を観察したかった。なぜなら、あなたは、あの時既にわたしたちが付き合っていると勘違いしていた。暗闇で置き去りにして、反応を確かめようと思った」
「バカげている」
ほんの一瞬、目が泳ぐ。
わたしはそれを逃さない。
「一人で進みながら、あなたは聞き耳を立てていた。二人だけの状況で、二人がどう振る舞うか。その様子から、その時のわたしたちの関係を推測しようとした。違う?」
孝太郎君は何も言わない。落ち着いたふりをしているが、感情の揺らぎを必死に抑えようとしているのがわかる。
沈黙の幕が緩やかに降りてくる。
わたしは言う。
「これからも友達でいて欲しい。ずるいと思うけど」
「どうしてそんなことを?」
「だって」
「二人が付き合ったって、これまで通りまた三人で遊べばいい。三人で集まって、三人で飯食って。もちろん、二人のデートの邪魔はしないけどね」
孝太郎君は笑った。ただ、さすがの孝太郎君も目が笑っていない。きっと、精いっぱい強がっているのだろう。そして、それを悟られまいと、必死に言葉で合間を埋め尽くす。
「これから二人でお幸せに。たまには俺も誘ってくれよ」
そう言って孝太郎君は立ち去りかけた。
このままではいけない。
わたしはとっさに彼を呼び止める。
「孝太郎君」
彼が立ち止まる。
何か言わなくては。
わたしは彼に向けて叫ぶ。
「もしわたしが、孝太郎君のことを好きだと言ったら?」
口走ってから頭が混乱した。いま、わたしはなんて言った? なんてことを言ったのだろう。孝太郎君はいぶかしげにこちらを見ている。しまったと思っても、もう遅い。
しかし、孝太郎君はやがて表情を和らげ、笑って言った。
「バカなこと言ってないで、早くあいつのとこへ行ってやりな」
そして今度こそ本当に、その場を立ち去る。
彼とはこれで終わりだと思った。二度と心安らかに話すことは出来ない。ぎこちない会話とぎくしゃくした空気。楽しかったあの日々はもう戻らない。
そして、それは秋彦君とだって。
たまらなくて、カバンの中の携帯電話に手を伸ばす。アドレス帳から呼び出すのは秋彦君の電話番号だ。
「どうした?」
「いまから会える?」
「わかった。いまどこ?」
「噴水。大学の図書館前の」
彼も何かを察したのだろう。わかったいま行くから、と短く言うと、すぐに電話を切った。
これからどんな日々が始まるのだろう。
彼との甘い日々か、それとも、後ろめたさを抱えながらの苦しい日々か。
わからない。
いまのわたしには、わからない。
だからわたしは彼を待つ。わたしの恋人の到着を。わたしが選んだ男の子の到着を。噴水がばしゃばしゃ跳ねるベンチに座り、移りゆく空を見つめつつ。
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