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02. 弥生狂騒曲② (ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ)


「社会科学Ⅰ、再来週テストだってさ」

「いいじゃん、テスト。レポートよりあっさりしていて」

「孝太郎、それは頭のイイ奴のセリフだよ。俺みたいな人間はじっくりレポート書いた方がいいの。テスト一発勝負だなんて、考えただけでも冷や冷やする」


そう言いながら秋彦君は唐揚げを割りばしでつまみ上げ、口の中へ頬張った。毎日同じお弁当ばかり食べていれば飽きそうなものだが、秋彦君はおいしそうにむしゃむしゃ食べている。晴れた天気と、噴水の水しぶき。目の前の平和な光景に、なんだか開放的な気分になる。


「弥生は? 歴史Ⅰ?」

「そう。レポートの提出と、あとの三割くらいは出席点」

「余裕だね」

「結構欠席しちゃったから」

「せいぜい二、三回くらいだろ」

「二回かな」

「余裕じゃん」

「ていうか、秋彦君がさぼり過ぎ」


秋彦君は「朝起きられないんだから仕方ないだろ」とぶつぶつぼやいてから、「孝太郎は?」と自分以外の人間へ話をそらした。

「なんとかなるんじゃないか」

「相変わらず余裕だね」

「それより秋彦さ、毎日同じ弁当ばっかで飽きないの?」

「大きなお世話だよ。孝太郎だって似たようなものだろう」

「おれは毎日野菜も食べている」

「おれだってほら、レタス入ってるじゃねえか。レタス農家にあやまれ」

「なに、それ」思わずわたしは噴き出してしまう。「どうしてレタス農家?」

「話の成り行き」

「どういう成り行きよ」

「それより、弥生はよく毎日お弁当作るね」

「ほとんど冷凍食品だし」

「そのたまご焼きも?」

「これは自分で焼いた」

「やるじゃん」

「別に、卵焼きくらい」

「十分だよ。俺なんてそもそも洗い物が面倒だものな」

「どれだけ面倒くさがりなの」

「三限出るの面倒になってきたな。天気もいいし」


秋彦君が思いきり伸びをする。青空を突き抜けそうなほど両手を伸ばしていて、見ているこちらも気持ちよくさせられる。

「三限、さぼろうか」孝太郎君が言った。「学校の中探検してみない?」

「おお、いいねいいね」秋彦君が飛び跳ねんばかりに同意する。

「必修の授業でしょ」


もちろん、わたしの言葉に力はない。

秋彦君が嬉しそうに言う。

「そうカタいこと言わずにさ。GHQの一員じゃないか」


GHQとは「Go Home Quickly」の略で、日本語にすると

「さっさと家に帰る」。要するに、帰宅部のことだ。


孝太郎君が「俺たちGHQだな」と言い出したのが始まりだった気がする。リーダーはマッカーサー。わたしたち三人だけの用語なので、たぶん、その存在を知る者は学内に他にはいないし、このまま大学の歴史の片隅に忘れ去られていく運命にあるのだろう。というか、わたしたち自身、卒業までGHQを覚えているか? それすら怪しい。


「今日は天気もいいしなあ。授業に出るには勿体ない」

「そうそう、孝太郎は流石にいいこと言う。だから弥生も一緒に行こう」


どうしようかなあ、とわたしが首を傾けていると、「たまにさぼったってバチは当たらないだろう」と孝太郎君がさらに背中を押してくる。

たしかに、次の授業は比較的まじめに受講してきたから、一度くらい休んだって大した痛手にはならない。何かあっても、他のクラスメイトに聞けばそれで事足りる。


「仕方ないな」

わたしは渋々、といった風に承知した。もちろん本心はそんなことないし、そのことはきっと二人にもばれている。


「よし。そうと決まったら出発だ」

「さっさと昼飯食っちまおうぜ」


はいはい、と言いながら、最後のたまご焼きをわたしは頬張り込んだ。甘い味が口の中いっぱいに広がる。

二人はもうとっくに別の話に移っていて、この間借りたビートルズのCDが良かっただとか、興奮気味に音楽の感想を語り合っていた。そういえば、一週間ほど前、二人でビートルズのCDを貸し借りしあっていた気がする。わたしは興味がないので断ってしまったが、いま思えば二人が少しうらやましい。


「じゃあ、行こうか」


わたしのお弁当箱が空になったのを見て、秋彦君が立ち上がった。

ベンチを立つとき、もう三人でこの場所へ来ることはないのでは、とふと思い、噴水を一度だけ振り返った。


それが気のせいなのか虫の報せなのか、その時のわたしはまだ知らない。

(to be continued)

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