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食事の時はテレビを消しましょう。止観のススメ。

とっても気になっている脳科学者がいる。
今の自分にとって、かなり肚落ちする内容のため、彼の著作を読み漁っている。
その中で、こんなメッセージが飛び込んできた。

「日常的に止観せよ」

止観を簡単に定義すると、
煩悩を止めて、自分や世界を徹底的に見つめる
ということ。
言葉を変えれば、
見返りを求めず、目の前のことに純粋に喜びを見出す
とも言えます。

そんなことできるんかいな?
って思っていたけれど、実はここ数ヶ月取り組んでいることがまさに止観であることに気づき、その効果を改めて実感することになった。
ってお話し。


生きづらさを感じ、調べまくっていたこだわりだらけの僕

ここ数年、何か生きづらさを感じていた僕は、
何かを変えなければ…
という焦燥感に駆られていた。
いろんな本を読んだり、YouTubeをみてみたり、何かきっかけがないかと、藁をも掴む思いだった。

数ヶ月前のある日のことである。
ふと閃いた。
この焦ってる気持ち、不安な気持ち、不足している感覚。
それこそが全ての元凶なのではないか?と。

僕は時間を無駄にすることがとても嫌で、
トイレに行くときには必ず本を持っていくし、
待ち合わせでも待ったりしないよう、時間ぴったりに着くように家を出る。
昔からのこだわりだ。

こだわりを捨てて気づいたこと

しかしながら、その無駄だと思っていることこそ、逆説的に有意義なものなのではないか?
ふと、そう思ったのである。

そして、僕はこだわりを捨て去り、こう決意した。

ご飯を食べるときに本も読まないし、テレビもみない。
ご飯に集中しよう。

効果は歴然だった。
といいたいことだが、あまり実感はわかなかった。
期待した答えでなくて申し訳ない。

ただ、じわじわと効果が出ているような気もしている。
焦る気持ちがなくなったきたような。

止観スタイルの食事方法

決意してからのご飯を食べている時はこんな感じだ。

ご飯を食べる時は、今食べているものに集中する。
何を箸でつまもうか?
口に入れた瞬間にどんな感触なんだろう?
この食材はどこでどう育てられたんだろうか?
妻はどんな思いでこの食事を作ってくれたんだろうか?
あ、今日は今まで作ったことない料理に挑戦しているぞ。
なんだか、ありがたいなぁ。

こんな具合に、今していることに意識を集中させる。
意識の主体が自分になっていたものが、気づいたら食材や家族といったように大きく広がっている。

すると、今までにない気づきがあることに気づき始める。
テレビや会話に意識が向いてしまうと、
無意識の闇に葬り去られてしまうものばかりだ。

側からみたら、何も変わっていないかもしれない。
でも、私の内面は少しづつだが何かが変わってきている。


止観によって得られる自由な生き方

そんな変化の兆しが、確信に変わったのは、
冒頭の「止観」のススメを読んだとき。
これだ!
と思ったのである。

著者が止観をこのような理由でオススメしていた。

止観によって煩悩から離れ、高い抽象度から俯瞰する。
すると何事にも束縛されない自由な発想、自由な生き方ができる。

なるほど。
僕が食事時間を無駄にしまい、と思っていたことは、
知識欲という煩悩にまみれていたということ。
常に知識が不足しているという認識に束縛されていたのかもしれない。

その束縛を解き放ち、もっと自由な発想、自由な生き方ができれば、今まで感じていたような生きづらさを感じなくなるのかもしれないぞ。

僕の場合は、知識不足に対する焦りだった。
でも、この課題って人それぞれ違うと思う。
抽象度を上げて説明してみると、こんな感じになるのかな。

自分が課題を感じていたり、不足に思っていることがあるのなら、一旦その問題から離れてみる。
そして、課題や不足が解決していると仮定したら、どんな行動をとるか?
を考え、その行動をとってみる。


止観はそんなことに気づくきっかけになるかもしれないね。
ということで、ぜひ一度、止観を意識してみてくださいまし。
ご飯を食べる時はもちろんテレビは消してみましょうね。

「止観」
煩悩を止めて、自分や世界を徹底的に見つめる
見返りを求めず、目の前のことに純粋に喜びを見出す



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