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ただより高いものはないの本当の意味

相対的に価値が上がっているものってなんだろう?

食べ物?お金?
いや、違う。

数百年前までは食べ物で争いをしていたのが、
今となってはほとんどなくなっている。
先人から受け継いだ知識、技術により、飢餓という問題はとっても少なくなっている。

食べ物が手に入れば、「食べていけなくなる」というお金の不安がなくなる。
だから、お金の価値も相対的に下がっていくことだろう。
交換経済に別れを告げて、自給自足生活に回帰する人が増えている。
食えればいいじゃん、っていう人にとってはお金の持つ意味はたいして大きくない。

ってことは何の価値が大きいんだ??

「時間」ではなかろうか?

食べ物やお金が溢れていても、満たされるものではない。
どの時代においても、みんなに平等に分け与えられている。

そんな時間を浪費するもの。
それがタダものだ。


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こんな言葉を目にしたとする。
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セミナーに参加してみる。
なんか、これはやらなきゃって気持ちになってくる。
セミナーが終わった頃には、本当に稼ぐのに必要なテキスト代3万円を支払うことになっている…


テキスト代を支払うことが悪というのではない。
『無料』という言葉によって、「思考が停止していないか」ということを常に意識しておきたい。


そのセミナーに参加する1時間。
この1時間で何ができるだろう?
アルバイトすれば1000円稼げるかもしれない。
ブログを1記事書いて、100日続ければ毎月3万円稼ぎ出す金の卵を産むニワトリになるかもしれない。

有名な児童文学「モモ」
ミヒャエル・エンデは時間の大切さを寓話にしている。

人々はなに不自由なく生活をしている。
しかし、ある時、目の前の豊かさに目がくらみ、時間どろぼうに時間を差し出してしまう。
すると、もっともっとと豊かさを追い求め、常に時間が足りないと思うようになる。
あんなに笑顔だった人たちが、人が変わったようにギスギスしだしてしまう…

忙しいは心を失うこと。
時間がなくって忙しくなると、無意識のうちに笑顔まで差し出してしまう。


時間は有限。
その時間こそ価値があるということに気づいていたい。
無料という言葉に条件反射的に反応していないか?
その前に、本当にそのものが自分にとって価値あるものなのか?
お金を払ってでも欲しいものなのか?

立ち止まって考えてみよう。
時間どろぼうに笑顔を奪われないように。

ただより高いものはないんだから。

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