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不安について(前編)

大人になった人間で不安を日常に覚える人は多いだろう。
いや、むしろ、不安を覚えない人はいないのかもしれない。
金銭の不安、人間関係の不安、暮らしの不安、仕事の不安、不安の態様は様々であれ、とにかく人は何かの不安を覚えていることだろうと思う。

だが不安というのはもちろんいい気分ではないものではあるが、人生において必要なものだといえる。

というのも不安があるからこそ、精神が引き締まり、真剣になることができる。
金銭に不安があるからこそ金の濫費をしなくて済むし、人間関係に不安があるからこそ安易に他人に頼らなくなる。将来についての不安ならば、それは現実をある程度受け止め、将来について真剣に考えていることを意味する。そしてそれによって将来的に生じる危険をある程度避けることもあり得る。

美味しい味をするものが必ずしも体にいいわけじゃないのと同じく、心地よい感情が必ずしもいいものとは限らない。
また、筋トレ等で体に負荷をかけることによって体が引き締まるのと同じく、精神に負荷がかかることによって精神が引き締まる効果がある。

なので不安は決して悪ではない。むしろある程度は善である。

もちろん、過ぎたるは及ばざるが如しという言葉があるように、あまりに不安に過ぎるのは問題である。筋トレにおいてもあまりに体に負荷をかけすぎるのは体を傷つけるのと同じだ。自分の行動を萎縮させるほどの不安は避けなければならない。ある程度緊張感を抱きつつも、取るべき行動はしっかりと取れなければならない。

どれだけお金をもっていて、どれだけ成功していて、どれだけ毎日が恵まれていても、不安を覚えないことは危険である。
流転する世の中においてはいつ自分の境遇が変わるのかはわからないし、世の中には陰険なトラップがある。そういうものを事前に回避するためには「不安」を覚えることは必要不可欠である。

仮に100億のお金をもっていたとて、食い尽くされるとなればわりかしあっけなく食い尽くされ一文なしになってしまう。転落する時は存外一瞬である。

畢竟のところ、人生とは戦いであり、戦場なのだ。不安なくして戦いの場に身を置くことは命取りである。


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