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教育的意義は不明だが、美談にはなる教育 – 東大阪市

2022年12月25日(日)に、東大阪市花園ラグビー場で、東大阪市立日新高等学校の生徒が無償で清掃活動をしました。

この清掃活動は、ラグビー場の管理スタッフから
「鳥のふんなどが多く、清掃が大変だ」
と聞いた、市の教育委員会が企画し、ラグビー部の生徒及びその指導者の計25人が参加しました。

このラグビー場は、東大阪市が所有する公共施設です。清掃などの運営・管理を民間の業者に委託しています。
清掃を業者に委託しているのですから、清掃は業者が実施すべきです。
にも関わらず、市の教育委員会の課長が率先して生徒を組織化して無償で清掃をしたのです。
業者は清掃をする必要は無くなりました。つまり、清掃に係る経費の支出をしなくても良くなったのです。
これは、市役所が業者に便宜供与べんぎきょうよをしたことと同じです(私の意見)。


(参考記事)日新高校ラグビー部員、花園ラグビー場のスタンド清掃 高校ラグビー開幕に向け


本件については、2個の論点があります。
1.市役所は業者に便宜供与を図ったのか
2.この清掃活動に教育的意義があるのか
以下に、教育的意義の論点で述べます。




1.自主性

教育委員会と日新高校の生徒は、教育をする者とされる者という社会的関係にあります。
そして、教育委員会は日新高校のラグビー部に限定して清掃要員を組織しました。
生徒には、教育機関が下す自己への評価を高めようとする動機や、参加者が限定されたことによりことわりづらい雰囲気が生じたと思われます。

ボランティア活動とは、
個人の自発的な意思に基づく自主的な活動
のことです。有償・無償は関係ありません。
本件の清掃活動は、生徒に対して社会的に優位にある教育委員会が勧誘しているのですから、ボランティア活動と言いきることは難しいと思います。


2.教育内容

清掃技術に関する学習や、技能が向上するなどがあれば教育的意義があると言えます。
しかし、本件は、イスを布で拭くという労務を提供しただけです。
なので、清掃に関する技能が向上した、という評価を下すことはできません。
この清掃活動で学んだことが仮に何かあるとすれば、もっぱら精神面に関することだと推測されます。


3.精神教育

本件の清掃活動に精神面で教育的意義があったとするならば、「ラグビーは崇高だ」とか「花園は神聖だ」という意識を高めたのでしょうか。少なくとも、そのような雰囲気はあると感じます。

一般的に、ラグビーの強豪高校は、100人程度以上の部員を有しており、大概は、私立です。
日新高校は、一部の学科は定員割れをしている、小規模な公立です。現実問題として、「聖地花園」に出場できない可能性が高いことは明らかです。

「聖地花園」を神聖視するような想いを持ったり、そのような雰囲気を醸成することは、強豪校ではない選手にとっては、無意識的に心理的に苦痛を伴うのではないでしょうか。

花園を神聖視した上で、自分たちはそこに選手として出場できない。
にも関わらず、そこの清掃作業をしている。
となると、心理的に厳しいと想像します。
仮に何の心理的苦痛もともなわず「お客様への奉仕なのだ」という想いであれば、それは人間の本性ほんしょうとは思えません。
「お客様へのおもてなしをしたい」という一念であれば、ラグビー場だけでなく、どこでも実施できます。


4.教育的意義

本件の清掃活動には、自主性が無く、技能が向上するでもなく、無意味な精神教育しかないように見えます。
どこに教育的意義があるのでしょうか。

私は次のとおり教育委員会に文書で問い合わせました。

 教育者と生徒は、評価する者とされる者という関係にあり、生徒は教育者の指示に従わざるをえません。
 生徒は弱い立場にあるにも関わらず、教育委員会が部員全員をボランティアに従事するよう誘導することは、当事者に自由な意思がなくなり、不適切であると思います。教育委員会としていかがお考えになりますか。
 業者が実施すべき清掃業務を、教育委員会が企画して生徒に実施させています。業者は有償ですが、生徒は無償です。
 有償である作業を、業者に代わって、教育の下で、無償で行わせることは不適切だと思いますが、教育委員会の見解をお伺いします。

2023年1月4日付け 市長及び市教委あて「市民の声」

次のように文書で回答がきました。

 花園ラグビー場には、ボランティア活動の場所の提供をいただいたと考えておりますので、生徒は活動で学んだ経験を、今後の学校生活に活かしてくれると考えております。

2023年2月3日付け 東大阪市役所からの文書による回答

「活動で学んだ経験を、今後の学校生活に活かしてくれる」

活動で学んだ経験は、清掃です。
今後の学校生活に活かすのは、清掃なのでしょうか。
直接的には清掃を学び・活かすということになりそうです。
幼稚園児や小学生であれば、清掃を学び・活かすということはあり得ると思います。
しかし、高校生なのですから、まさかその年齢で、清掃を学び・活かすという教育のあり方は考えられません。

(清掃以外で)何を学んだのか、どのように活かすのか、不明です。
回答では、敢えて言語化していないのでしょうか。
言語化できるほどの教育内容が無いのだろうと思います。

また、次のようにも回答しています。

 今後、学生ボランティア活動と指定管理者のニーズが合致した場合は、可能な範囲で前向きに参加を検討いたします。

2023年2月3日付け 東大阪市役所からの文書による回答

仮に教育的意義が本当にあるのであれば、指定管理者側のニーズが無くても、無理強むりじいして、実施すべきでしょう。
ただし、指定管理者に対して市から清掃も含めた委託費を支払っているため、そういった契約の観点から見れば不当な行為だと思います。


5.清掃活動は美談になる

2023年9月に東大阪市の市議会議員選挙がありました。
それを意識しているのだろうと思いますが、立候補者が、町を清掃している記事がSNSに散見されました。

余暇時間中に公共の地の清掃活動をしたということは、その時間中は遊びをしなかったということであり、自己犠牲をしたということになります。

公共の場における清掃活動は、美談なのです。

本件の清掃活動は、教育的意義は不明確であるけれども、美談としては成立するのです。


6.最後に

そもそも、清掃は業者がやることになっているのです。
そのための経費を市役所が支払っているのです。
清掃の経費や要員が足りないからといって、市が清掃の業務委託をしているという背景を無視し、市の教育委員会が清掃ボランティア要員として生徒を動員することは不当だと思います。

生徒は大人の都合の良いように使われている、と思います。
客観的に見てオトナの都合の良いように使われているにも関わらず、それを主観で打ち消し、教育的意義があるかのような雰囲気を作っています。
思い違いをさせることには教育的意義はありません。
客観的に見るチカラや合理的に考えるチカラが養われていないように感じます。

何故、ラグビー部だけがラグビー場で清掃活動をしたのでしょうか。真に教育的意義があるのであれば、他の生徒を巻き込んでも良かったと思います。そうすれば生徒への処遇は公平です。
すべては「ラグビーのまち東大阪」のためだと思います。
政治の意向が公教育を動かしているのです。
ラグビー関係者を特別扱いしたいのです。

以上

上記の記事は、次の記事の書き直しです。

#日新高校 #東大阪市 #ラグビーのまち #ボランティア