味を味覚以外で記憶する

『アオアシ』ってサッカー漫画が大好きなんですが、同じ著者の小林有吾さんが描いた以前の作品に『てんまんアラカルト』があり、昨日読み終えました。この中で興味深い台詞が出てきて、料理の漫画なんですが、「味を味覚以外で記憶する、味を言葉以外で表現することは大事なんだ」って台詞です。

状況とかは詳しくは漫画を読んでもらわないとわからないかもしれませんが、そして、なぜそれが大事なのかは直接的に一言一句事細かには描かれていませんが、僕なりに解釈すると、"感性"の話ですね。

味の"記録"は当然味覚が一番わかりやすい感覚、味を"表現"するには言語か絵か音か、いろんなものがあると思いますが、まあなんとなく簡単なのは言葉でしょう。まず味を記憶する場合。味だけで記憶するよりも当然、その他の感覚も総動員して記憶した方が複数の角度から立体的かつより正確に記憶することができます。そして表現をする場合は、言語でなく絵や図や音やその他を使うことで、複数の手段で相手に伝えることができます。

ただまあ、きっとそれらより大事なことは、本人の"感性"が磨かれるんだろうなってことです。一番使いやすいであろう味や言葉を使う、かつ単一の手段を使うってことは、その感覚だけに頼ることになり、いわゆるイメージみたいなものが養われにくい。単一手段は引き出しの多さと組み合わせからくる着想を狭めてしまって、本来一人一人違った感性が生まれるはずが、平凡なところに収まってしまう。つあまり感性やイメージが磨かれることは、料理人が自分の料理をどう表現したいかの道具になるんだと思うんですね。

とまあここまでが僕の、このセリフに対するかなり勝手な解釈になりますが、そっっからさらに勝手な妄想を膨らませると、それはそのまま料理じゃなくても当てはめられるかもしれない。音楽だったらどうなるのか。

歌や作曲だったら、音を聴覚以外で記憶する、音を言葉以外で表現することは大事なんだ、ってことになりますね。ダンスだったら、ダンスを視覚以外で記憶する、ダンスを言葉(もしくは視覚)以外で表現することは大事なんだって感じ。まあわかんないけどね、あくまでそういう解釈もできるってことで。

五感の話は前にも少し書きましたが、感性やイメージを養うには、自分では当たり前に頼っている感覚以外も積極的に使っていくことは大事なんだなと感じました。いつか、「この音は甘いチョコレートパフェの味がする」なんて言ってみたいですね。結局食い物、かつただのウザイやつと思われそうだ。

今日はそんな感じ。

みなさま、Happyでsmoothな1日を!


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