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肥えるのは贅肉以外で

 舌が肥えているとか、耳が肥えてるとか、目が肥えてるとか、全部"肥えてる"で統一しましたが、いろいろ言い方はあるかと思いますが、何かを感じ取れる能力ってものがあります。

 ではそれがどうやって生み出されるかと言うと膨大な数のインプットです。あとアウトプットも必要です。僕は音楽の聴き方ってものがどんどん変わっていった経験があるのでわかるのですが、楽曲があった時にボーカルを聴くのか、トラックを聴くのか、全体のコード進行や音質を聴くのか、音楽をやればやるほど聴ける幅が増えていって本当に楽しいです。きっとこれからも聴ける幅は増えていくでしょう。

 ボーカルだからわかる歌の技術や気持ち良いところや、ラップをやってる人だから気づく韻の踏み方の格好良さや、DTMをやっている人だからわかるエフェクトの処理や、とあれやこれや言えばキリがないくらい、たくさんの要素が音楽には詰まっています。

 これはなにも音楽に限ったことではなくて、料理や食事にも言えることだろうし、アートやダンスや文学やスポーツや勉強や仕事にも言えることだろうし。違う部分があるとしたら、感性のどの部分を使うかや、個がどれくらい役割を担うか、でしょうか。

 わからないものがあることは悪いことではないと思いますが、違いがわかる人はその人同士でしかできない会話があるのもまた事実だし、より深く感じたり、話をしたりすることができます。その中に入っていきたいなら、それに必要な何かを"肥え"させないと仲間に入れてもらえません。

 こういう話を書くと、そんなのはそれぞれ自分の好きな範囲で好きに楽しめば良いとか、高級料理だったり良い素材を使っていない料理だったりでなくとも普通に美味しいとかを話す人もいるかと思います。たしかにそれはそうなんですが、僕が言いたいのは、じゃあ例えば高級肉を使ったステーキの味がわかっていて好きで普通の牛丼を食べるのと、高級肉を使ったステーキの味がわかっていなくて普通の牛丼こそが最高の味だと思って生きているのとでは、なんだかちょっと見える世界が違うんじゃないかなと勝手に思ってるだけです。ちなみに僕は牛丼は好きです。他意のない比喩です。

 なんとなく、そんな感じ。みなさま、Happyでsmoothな一日を!


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