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下手な考え休むに似たり

将棋で言うところの(将棋なのか)、「下手な考え休むに似たり」って言葉がありまして。ざっくりと僕の解釈では、ずーっとあーだこーだ無駄なことを考えてるのは意味が無いから、時間を浪費しているって意味です。将棋で言えば長考。

この言葉のもつ教訓はいくつかあってですね。そもそも長考自体は悪いことじゃないんですね。だってじっくり考えてることは悪いことじゃあない。ただ、考えている中身に対して時間をどれだけかけているか、意味のあることを考えているかどうか、実際の行動が伴うかどうか、が結構大事なわけですね。

中身に対して時間をどれだけかけているか、ってのは言うところのコストパフォーマンスですね。長編小説を書く構図だとか、何か長期の段取りを考えるとか、要するにインスタントに考えて軽くさっと流せないような内容を長考するなら良いわけで。明日のランチをパスタにするか、カレーにするかだけで1時間悩んでたら、時間がいくらあっても足りないわけです。

意味のあることを考えているかどうかは、明日のランチ問題に似てますが(お腹が空いた)、少し別で、自分がコントロールできない要素を多く考え過ぎてないかってことです。もちろん、多少は読みってのは必要なので、不確定要素を考慮するなとは言わないですけど、1ヶ月後に雨が降るかどうかを推測してとか、あの人はいつが機嫌が良いはずだから頼み事をしようとか。それを考えることが必ずしも必要なのかを一旦思い直したほうがいいこともあると。

で、最後に実際の行動が伴うかどうかですね。行動なき理論、机上の空論ほど意味のないものは無くて、フィクションとして小説でも書くなら別ですが(それもある意味で行動が伴っている)、考えたことは具現化しないと行けないわけです。寿司屋に行こうと色々調べたなら、一緒に行く人や日程を決めて、予約の電話を入れないといけない。当たり前じゃんってみんな思うと思うんですけど、これが寿司屋じゃなくてちょっと苦手なアレだったり、ちょっと面倒なソレだったりすると、途端に行動伴わなかったりすると。

将棋や囲碁の格言は人生でもよく使われますね。たかがゲーム、されどゲームなりってことで。

みなさま、今日もHappyでsmoothな1日を!


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