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 これは、伯母がまだ存命中に、お部屋の片付けを手伝うという名目で行ったときにもらったクリーマーです。

 朝のコーヒータイムで使うたびに、伯母の顔や、伯母に関する思い出がふと浮かび、懐かしいほっこりした気持ちになります。

 そのときは、形見としてもらってきたわけではありません。伯母自身はもうこれを使うことはないから、良かったら持っていってと言われて、ただもらってきたものです。

 それが、伯母も亡くなって何年も経ってから、こんなに私の心をリラックスさせてくれることになろうとは、そのときは少しも考えませんでした。

 形見というのは、なにも人が亡くなったときにいわゆる形見分けという、ある意味仰々しい機会にもらうものだけではありません。

 ふとした機会にその相手からもらったものを、その人が亡くなったあとに、形見という存在として認識することの方が多いのです。

 もらったときはそれほど印象に残らず忘れてしまっているものも、その人が亡くなったという事実が、そのものの存在をあらためて強調するのです。だから、人からもらったものは、その人が亡くなれば、全て形見になるのです。

 冬になるとかならず使うリストウオーマー
 子どものころに作ってもらったペンダント
 ぬいぐるみ
 ビタミン剤
 ハンドクリーム
 チラシの裏の走り書き
 賞味期限が切れた紅茶
 などなど。

 およそ形見としてはもらわないだろうもの達が、亡くなったその人を思い出させてくれるきっかけになります。

 そのものをもらったときの光景や気持ちを思い出すことによって、一瞬、その人がホログラムのように、自分のすぐそばに立ち現れるような感覚を覚えることがあります。気づけば、その人に語りかけるようになにごとかを独りごちていることもあります。

 親しい人達がひとりまたひとりとこの世からいなくなっていき、自分の足元の地面が少しずつ狭くなっていくような心細さと寂しさを味わうとき、ふと部屋を見渡すと、形見となったもの達が、あちこちでかすかな存在感を放って、そっと私を包んでくれます。

 形見というのは、亡くなった人の姿を見せてくれるこういう効果があるのだと、あらためてその存在の深さとありがたみを感じる朝のコーヒー時間です。

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