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居場所によって、人はいい人にもそうでない人にもなる。
居場所を間違えると、本来の自分の能力を発揮できなくなる。
だから、自分に合った居場所を見つけることはとても大切。

今日は、こんなことについて書いてみたいと思います。

人にはそれぞれ自分に相応しい居場所があると思うのです。

自分の人生を振り返ってみると、あの頃の私は、どうしてあんなに何もかもうまくいかなくて、もがけばもがくほど蟻地獄のように深みにハマっていったのだろうかという時期があります。

皆さんには思い当たる時期はありませんか。

たとえば、小学校の頃、目立つ外見と生い立ちのために、いじめにあったこともありますし、本人は望みもしないのに常にスポットライトのあるステージの上に立たされているような緊張感を強いられ、学校生活をとても窮屈に感じていたことを覚えています。

ところが、中学校に入ると、自分でも理由はよくわからないのですが、自分にしていた蓋が突然開いたように、自分の本心をドバドバ外に出すようになった時期がありました。その分、友達や周りの人間を傷つけていたことを、今も胸の痛みとともに後悔することがあります。

そして、高校時代は再び内向きな精神状態になりました。小学校の時のようないじめは経験しませんでしたし、友人もたくさんでき楽しく過ごしました。ただ、家庭環境が複雑で、自分の本音は出さない方が面倒なことが少なくなると考えていました。

そのために、やはり窮屈な思いをしていて、京都の大学に入学することが決まり実家を出ることになったときには、やっと解放されて新天地でまっさらな私になれるという開放感を味わいました。

このどれも、客観的に正誤を判断できることではありませんが、少なくとも、当時の自分にとってはそれが世界の全てでした。

この経験から、人は居場所に左右されるのだということだけは、間違いないと感じています。ただ、その自分の居場所は自分自身の責任で選んでいくものなのだということも強く感じています。

居場所にただ受け身的に影響を受けるのではなく、自分が勇気を出したり決意をしたりして選びとっていく側面も大きいのだと思うのです。

自分が息をしづらい場所はやはり、自分にとっての最高の居場所ではありません。もし息苦しく感じるのなら、そこから出る勇気をもち、行動をする必要があります。

自分にとって不適切な場所に長くいると、
生きるエネルギーを浪費し、
自分の息の根を腐らせ、
本来の自分を活かすことができなくなってしまいます。

まだエネルギーが残っているうちに、行動を起こさなければいけません。

自分にとっての相応しい居場所を見つけられると、自分に自信を持てるようになり、自分と違う人たちを受け入れられるようになり、平和な距離感を保ちながら、自分らしく生きることができるようになります。

そしてその居場所は、時間とともに変化するものでもあります。だから、いつでも、自分に相応しい居場所に移動する勇気と行動力を持ち続ける必要があります。

自分に相応しい場所は、「楽に息ができる場所」と思っていれば、間違いありません。

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