夕日は必ず朝日になる
コロナ騒動で生活が一変して、かなり時間が経ちました。
その間、慣れない生活に戸惑い、自粛を強いられ、自分の来し方を振り返り、変化した生活様式や社会を受け入れながら過ごしてきました。
春は変化の季節です。
卒業や入学、就職や退職。花が咲き、木々が芽吹き、新たな可能性に胸が膨らむと同時に少し不安になる。なんとなく浮き足立つ季節です。
でも、現状は、昨年の春とさほど変わっていません。どちらかというと、若干厳しさを増しているようにも感じます。
一年以上の我慢も努力も、あまり成果を産んでいないように思えてきて、挫けそうになることもあります。
いったいこれからどうなっていくのだろう?
そんな不安に心を占拠されそうになるのも無理はありません。
でも、自分なりに悩み考え頑張ってきたことは、確実に力になっているはずです。そのことに自信を持っていいはずです。
世の中は確実に変わりました。
確実なことが何もない中で、そのことだけは確実です。
外の世界が流動的で曖昧だからこそ、自分の中の軸だけは確実なものにしていくしかないのだと思うのです。
自分はどこに向かいたいのか。
どういう時間をこれから過ごしたいのか。
誰と過ごしたいのか。
何をして過ごしたいのか。
私は、例えるなら、里山に立つ一本の老木のようになりたいと思っています。
自分が好きで選んだ仕事でどれだけ稼ぐことができるのか。
そのことを自分の評価指標のひとつとして目標にし、あまり充実感もなく、ただ追われるように仕事をする時期は過ぎたと感じています。人生の一時期、そういう目標を持つことも有意義だとは思います。そのように頑張れた時期が自分にもあったことは幸運だったとも思います。
でも、これからは、追われてただこなすだけの仕事の仕方ではなく、自分も納得し充実感のある丁寧な仕事の仕方をしたいと思うようになりました。
個人の能力に寄るところが大きいとは思いますが、
丁寧な仕事=収入アップ
には必ずしもならない側面があることは否めません。
よほど体力があって、寝る間も惜しんで仕事に打ち込める。もしくは、仕事上の能力が非常に高くて、準備に時間をそれほどかけなくても、質の高い仕事ができれば、多くの案件を引き受け収入を上げることも可能です。
でも、私にはその体力も能力も残念ながら備わっていないようです。無理をすれば体を壊し、質の高い仕事をするためには、人一倍準備に時間がかかり、結果、多くの仕事を受けることには無理がありました。
コロナ騒動で環境が激変し、収入は減りましたが、その分、準備により多くの時間をかけることができるようになって、自分のこれからの好ましい仕事のスタイルに気づくことができました。
物事には必ず多面性があります。
ゆっくりペースでも丁寧な仕事をしていれば、そういう条件に合った仕事や人に出会えるようになります。もちろん生活が成り立つ程度の収入は必要ですし、仕事ですから、多少しんどい思いをすることは織り込みずみです。
それでも、人の役に立てると同時に自分も充実感を味わえる仕事をすることはできます。お風呂に浸かったあと、いつまでも体の芯からほくほくするような感じに似ていて、いい仕事ができたときは、その日一日、胸の奥底から幸せの泉が湧き出てくるような感覚を味わえます。
結局のところ、自分でその泉を見つけ出すしかないのです。
自分の外界に対して不平不満を募らせても何も始まりません。でも、何かを変える力は、いつも必ず自分の中にあります。ものの見方もひとつではないから、人の評価を気にしすぎる必要はありません。
里山に立つ一本の老木は、木肌も荒れて衰えているように見えるかも知れません。
でも、内から湧いてくる幸せの泉に気づいて自分の軸を保てているからこそ、何百年もそこに立って、ときに日傘になり雨傘になりながら、自分の足元に立ち止まる人びとをさりげなく守ってこられているのです。
そして、沈む夕日を見ながら、既に明日の朝日を思い描いているのです。
ああ、そんなどっしりとかまえている老木になりたい!
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