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最近の『すばらしい新世界』より。

朝の3:30に起きる、外は暗いが、暑いはずだったのに、もう秋。ワラーチを履いた足、露出した肌が寒い。凍える、冬が来る、怖い。
夜が明けるのも曇りがち、日差しはなくて、いつの間にか世界は明るい。まあまあだ、今日も変わりなく世界は私を置いて進んでいき、いつの間にか1時間が過ぎている。
家へ戻ると次男が起きていて、テレビアニメを観ている。シャワーを浴びて、子どもらの朝ごはんを作りながら、ヨーグルトにプロテインを混ぜ合わせて食べる。私の朝ごはんは、それとキャベツにオリーブ油をかけたもの。朝食は照り焼きサンドにした。うん、いい匂いがする。
長男が起きできたので、朝食をテーブルに並べる。長男はなんでもおいしいと食べてくれるけど、次男は好き嫌いが多い。気に食わないと食べないので、気に食わない。仕事用の手帳には、次男の食べたもの、食べなかったものリストで埋まる。会議の予定、アポイントの時間、次男の食したリスト、献立。帰宅の電車はクックパッドで翌朝のご飯を決める。あ、東急であれ買わなきゃ。
妻が起きてきて、ヨーグルトを食べている。子どもらと戯れている。いつの間にか怒っている。子どもらが、何かこぼしたのか、テレビばかり見て食べてないか。
コーヒーを淹れる、淹れるのが上手になった、と自画自賛。妻に飲ませる。いいね、と律儀に言ってくれる。満足。洗濯物を取り込み、たたみ、あれ、もう7:10。余裕がない朝。美人に涙が似合わないように、朝にゆとりも似合わない。情報番組は今日の運勢を伝えている。獅子座は7位。中庸な日々。あたりも触りもしない。
土日に予定していたクライミングは、不安定な天候のため中止に。泣いたよ、全米以上に泣けた。これで7位か。最下位は絶望だな。もしくは、本日の世の中があまりに絶望しかないか。すばらしい世界だよ、まったく。

『すばらしい新世界』
オルダス・ハクスリー著、大森望訳
(ハヤカワepi文庫)

すばらしい新世界では、禁書確定の『すばらしい新世界』。デストピア文学の源流と本の紹介でよく書かれる。
本当にこれはデストピアだろうか。デストピアってなんだろう。
全ての人々が幸せを感じ、快楽のままに身を委ねることができる世界。男女は互いにやりたい時に誰とでもセックスをすることが美徳で、沈んだ気分になったら、薬物でハイになる。副作用もさほどない。いつまでも若々しく、死の恐怖は訪れることなく、すべての人々に死は優しく訪れる。ユートピア!ここはユートピアじゃないか。

それなのに何かを否定する気持ち、変な感じ。こうじゃない、と、こいつはひどい世界だ、と心中穏やかにいられない。なんだろうね、この違和感。『ファクトフルネス』を見た時に感じた違和感と似てるし、正しいことばかり言うクラスの正義の味方にも近い、違和感。データを正しく見たところで、世界は正しく見れない。見える箇所が増えればそれだけ、見えない箇所が増えていくことに気がつかない。
数値で測れる幸福を追求したコンピーターは、資本主義と結託して、嫉妬と劣等感を与え続ける。幸福を与えることがどれだけできたのか。少なくとも、幸せを感じない人々の数は多いし、自殺もなくならない。人の命を守るために作られた防衛予算はたいてい多くの人々を殺す兵器に変わり、どこかの国がどこかの国を脅してマイクを握り正義の演説を繰り返す。お互いに譲ることなく。滑稽極まりない。と分かっているのに、こと妻にも子どもたちにも似たような態度で似たような演説。朝起きてから夜寝るまで、何をしなさい、これをさせて、あれが欲しい、これじゃないとダメ。
いや、もう『すばらしい新世界』の方が幸せなんじゃないかって思うのになぜだか、今の喧騒に、理不尽さや生まれながらの不平等に幸せを感じたりする。女の子にモテる男子を見て妬み、足の速い人を見て嫉み、クライミングが上手な人を見て僻む。うん、何故だか悪くないんだな。
『すばらしい新世界』が失ったものが何かなんか、言葉だけでは言い尽くせない。このスペキュラティブなもう一つの世界では、不幸があるのかやっぱり幸福なのか。幸せなのに不幸をかんじるのはなんだなのだろう。
不思議な感覚。

通勤の電車が私を会社に連れていく。今日もあしたも明後日も。パンデミックでも大震災でも弛まずそれなりに会社へ通う。経済を回さなきゃ、経済を回さなきゃ、って言って。
さてさて、私の幸せは経済というより、ゆとりのない朝に、喧嘩し合う家族の会話に、眠りにつく布団に、ランニングにクライミングにしかない。全てが総じて、妬みと嫉み、僻みでできている。


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