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『狩猟、始めました』を読み終えました。

2020年10月13日

先日、山を走ったとき捻挫してしまった。捻挫を怪我というかは人それぞれだろうけど、なかなか長く走ってきた人生ではじめての怪我だった。無事之名馬、と信じてたけど、もう無事でもなんでもない。無事でもなんでもないから名馬でもなんでもない。そもそも馬ですらない。存在価値がない。もう怪我なんてしないなんて言わないよ絶対。
走れなくはないけど、2週間後にレースがあるから走らないことにした。走らないことにした2日後にみんなとナイトトレイルランをしようと話したので走った。走ったら思ったより痛む。走れば痛くないと思ったけど意外に痛い。怪我って痛いものなのかもしれない。捻挫した翌日にクライミングしたときは調子良かったのに不思議。アドレナリンの匙加減だろうか。
そんなこともあって、やっぱり走らないことにした。クライミングも少し休むことにした。万全に整えた、つもりだったのに、3日もしたら走りたいし登りたい。欲を抑えるために食欲で制したら、3キロ太った。なんだこのありきたりな話。食べるな危険。やることないな。
ここのところはソルニットの『ウォークス』を読んでたけど、厚いし重いし。いまの悶々とした状況で読みたくないな、とお暇を出してやることにした。彼女はいま有給消化中。かわりに『狩猟、始めました』とテンション高めなタイトルを身につけた子を呼び寄せてみる。もう会うことはないと思っていましたよ、と彼女の天には埃がうっすら積もる。すいませんね、忘れてたわけでもないのだけど機会がなくてね、と手で埃を払ってやろうとするも、この埃、あんがいしつこい。埃って自分の皮膚や髪の毛が原因だったりもするんだってさ。なるほどね、しつこいのにも原因があるわけだ。かつての私、もう少し爽やかになりたまえ。

『狩猟、始めました』
安藤啓一、上田泰正 著 山と渓谷社
https://www.yamakei.co.jp/products/2814120263.html
山と馴染み深い場所に生まれたので、狩猟もそんなに遠い話ではなかった。友人の父親も狩猟をしていたし、よく鉄砲の音が家に聞こえてきた。それがいつのまにか、遠い世界の話になった。気づけば、この東京というきらびやかな街に居ついて20年弱。幼い日を過ごした田舎の山々はもう他人行儀に接してくる。就職して2、3年くらいまでだったな、地元の山々がお前はいつ帰ってくるのだ、と急かした感じで風を吹かせていたのは。
同級生に聞けば、年に数回地元の青年会で山へ分け入ってた行事も数年前からやめてしまったらしい。熊や鹿の被害の話はあまり聞かない。獣害はもう当たり前のことなのかもしれない。夜になれば街にネオンが灯るくらい、当たり前の日常。
2011年に東日本大震災が起きた時、東京の巨大な街は暗くなった。それでももっともっと我が地元は暗かった。山の果てから放たれるゴルフの打ちっぱなし場の光は、20キロ先からでもよく見えた。今の夜の闇はもっと深いのかもしれない。人がめっきり減ってしまったから。実家へ戻るたびにどこかの店は閉店している。跡地は野ざらしか駐車場か公園か。駐車場も公園も必要じゃないのにたくさんできていく。
生態系がどうのとか、命のありがたさがどうのとか、最近そういうことが不純な動機に思える。私たち人類は欲から生まれて欲にまみれて、欲のまま死ぬのだろう。殺人犯からガンジーまで、きっとそんなに人類のアイデンティティは違わない。正当化して銃を持つ人に興味はないし、理解もきっとできない。
人類は人類のためにしか銃を持ちはしないし、人類の欲のためにしか、何かを殺したりしない。神のように振る舞おうと、絶滅危惧種を保護してみても無駄に増やすだけ。神のようにバランスを取ることはできない。
人類の暇つぶしの畑のためにさえ、年間何万頭という鳥獣を駆除し、繁栄しすぎた外来種を排除する。そして、それはいいことだ、と主張する。本当かな、嘘かな。かたや、光の都市。化石燃料を最大にして、放射能を撒き散らし、煌々と経済活動に勤しむ。どこの何かも知らない肉を野菜を頬張る。写真を撮る。ピースサイン。良いよね、それで良いと思う。
そんな欲望に突き動かされながら、地元の田舎といまのアーバンな住まいとを行き来したいな。
鉄砲を撃ってバンバンバン。
光を灯して、バンバンバン。

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