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誤差

私は大学院で機械工学を専攻しており、生体模倣デバイスに関わるテーマを研究している。
私が所属するラボはマイクロロボット等を専門とするラボで、自身の研究テーマである生物系のデバイスは新規参入分野になる。
ほとんど立ち上げの研究で、培養実験等のノウハウや設備もないところから始まった。
ノウハウを得るために、つても何もない研究者に会いに行って、共同研究を持ちかけに行ったり、設備を整えるために研究費を少ないながらも獲得しに行ったり研究以外のことも進めながらやってきた。

しかし、この春修了見込みだった博士課程を延期することになった。
学振PDに内定していたがそれも諦めざるを得なくなり、内定取り消しになった。

正直なところ、落ち込みはした。
でも、予見していたことでもあったし、あと半年は今の研究を終えるには必要だと見込んでいたので気持ちの切り替えはできていた。
ここで気持ちを落としても何の生産性もない。
それこそバイタリティを失ったらどこも受け入れてくれる先がなくなると考えている。

頭じゃわかっている。
それでも、ひとり家の布団の中に入っている時や、シャワーを浴びている時、「この先何もうまくいかないかも」、「生きていけなくなるかも」、「自分はなぜこんなに頑張れないんだろう」という焦燥感や絶望感が湧き起こってくる。
そうやって湧き上がる気持ちをお酒で誤魔化す。
毎日それを繰り返している。

そんな中、今は海外の大学のラボに研究員として所属している先輩(共同研究者)との打ち合わせがあった。
現在の研究の流れと、現状の進捗、最終的にどのような実験をすることで博士論文を仕上げるつもりでいるかを壁打ちさせてもらった。

自分としては、たいして前に進めているわけでもない、納得のいくような進捗を生み出せていなかった。
しかし予想に反して、「頑張ってるね。こっちのPhDよりもアウトプット出してるね」と褒められた(半分お世辞と鼓舞する気持ちを込めてだと思うが)。

モチベーションも下がる中でとにかく前に進めようと実験を進めてきたので、もう自分が頑張っているのかどうかもわからない。

最終的に大事になる培養実験をいつまで経っても始められないので、他人から見る評価は良くないんだろうとも考えていた。

そういう状況で、慕っている先輩から「頑張ってるね」と声をかけられたので、死ぬほど沁みてしまった。

博士の修了予定を延期することになったことも伝えた。
「そんなの人生の中では誤差でしょ」と言われた。
打ち合わせが終わって、帰宅し、シャワーを浴びているときに意思に反して涙が溢れてしまった。

あぁ、もう少し前向きに頑張ってみようかなと思えた。


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