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『末続アトラス 2011-2020: 原発から27kmー狭間の地域が暮らしを取り戻す闘いの記録』刊行について

 2012年から始めた末続地区の放射線測定事業を記録誌にまとめました。

http://ethos-fukushima.blogspot.com/2022/11/2011-2020-27km.html


 フリーの編集者柳瀬徹さんにお手伝いいただいて、これまで郷土史でもまとまった記述のなかった末続地区の歴史的な沿革から始まる内容になっています。
 これは末続に限らず、すべての被災地に共通することだと思いますが、過去の経緯と社会的基盤が被災後の対応に大きな影響を及ぼします。また、なにが問題となるのかも、事故前の状況を知らなければ、実情を理解できないものだろうと思います。そうした背景の上で、住民のみなさんの証言が存在します。なにを失ったのかがわからなければ、なにが問題となっているのかもわからない。事故後の経験を通じて深く知ったことでした。

 記録誌作成を含めれば10年に及ぶ末続地区での活動は、私にとっては、とても思い入れが深く、紹介の文章を書こうと思ってはいたのですが、思い入れが深すぎて、個人的な感情の表出はためらわれていました。
 オフィシャルな紹介は、福島のエートスのサイトへ掲載したものになります。ここでは、個人的な思いを書きたいと思います。

 2011年に原発事故が起きたとき、そのニュースを聞きながら、わたしの脳裏に最初に浮かんだのは、「これから経験することを文章で書きたい」でした。そう思ってすぐに、わたしは自分を深く恥じました。

 津波による被害の大きさは既に大きく伝えられていました。原発事故の影響は、過去の経験から考えれば、故地を追われる人が多く生まれることは不可避で、そのことは、わたしのまわりの知人や親戚を含めて、身ぐるみ喪失を経験する人たちが生まれることを意味しました。その現実を目の前にしながら、自分の脳裏に真っ先によぎったのが「書きたい」であったことに、わたしは自分自身を唾棄しました。

 末続地区での活動は、ある意味、このとき自分が抱いた思いへの贖罪であったのだろうと思います。活動を行うなかで、最初の頃は特に「なぜ、こんなにも一生懸命に?」と尋ねられ、うまく答えられなかったのですが、それは、動機が公言するにはあまりに私的にすぎたからであったのかもしれません。そして、わたしがこうした社会活動を行いながらも、決して「活動家」を名乗ることがなかったのは、自分がそう名乗るにはあまりに動機が私的に過ぎ、感傷的な性質であることも理由でした。

 しばしば指摘されるのですが、わたしは本性として感傷的な人間です。自分の感性で、世界を美しく染め上げたいという願望、というよりも、欲望は根強く、消えることはありませんでした。一方、これを現実の世界において行うことは、暴力的にもなりうると自覚していました。現実世界を自分の感性で染め上げることは、ある種傲慢な振る舞いであり、その対象となる側にしてみれば抑圧的なものと感じられることが多いものです。言語芸術表現が神への捧げ物にその起源を持つのは、その傲慢さゆえなのではないかとも思います。そうでもしなければ、その行為を正当化できなかったから、なのではないでしょうか。古代文学研究者の土橋寛の著書を読んでいたときに、歌謡の起源として、神祭儀礼歌と労働歌をあげていたことを印象的に思い出します。神への捧げ物か、人びとと分かち合うものとして、言語表現が生まれたのだとすると、作者ひとりの視点で世界を染め上げるという欲望そのものが、どこか暴力性を孕まざるを得ないものとなるのは当然なのかもしれません。

 そうした思いから、末続地区での活動においては、自分自身の感傷や願望はすべて自分のうちにのみとどめ、びったりと現実に張り付き、1ミリも浮遊しない、ということを自分に課してきました。もちろん、これは主観的なものですから、ご覧になっている方からすればそうは見えなかったことも多々あると思います。ただ、なにかの判断を行う際には、プラグマティズムに徹することを行ってきたということだけは言えます。
 こうした姿勢に基づいた活動の結果がどのようなものであったか、その評価は、受益者であった方たちがなさるべきものですから、わたし自身から評価を行うことは避けたいと思います。
 また、地域以外の方におかれましては、『末続アトラス』はPDF版は無料でご覧いただけますので、内容を読んでご評価いただけたら幸いに存じます。
 わたし自身にとっても、なにものにも代え難い経験と学びをもたらしてくれたことへ、深く感謝を申し上げます。

 もっとも最後に一度だけ、感傷に浸ることをおゆるしください。

 『末続アトラス』を持って、協力してくださったみなさんのご自宅をまわったのは、うつくしい秋晴れが続いた時期でした。空は高く、天からふりそそぐ光は明るく澄んで、色づいた木々がまばゆく輝いていました。わたしの姿を見つけ、谷間にある田んぼのトラクターからおりて畦道をやってきた彼は、まぶしそうに目を細め、すこし照れくさそうに「いままでありがとうね」と言いました。背丈をはるかに超えたススキの穂が、彼の背後でいちめん波打ち、金の海原を見るようでした。なにもかにもが完璧にうつくしく、これがわたしに与えられた栄誉なのだとすると、身に余るものでした。
 10年間のわたしのすべてがここにありました。
 ここでの経験は、わたしの10年間のすべてでした。
 この先の人生においても、これほどの幸いにあずかることはないだろうと思います。心から、ありがとうございました。
 
 

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