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エッセイ:Twitterのおもいで(3)

 私の刑事告訴について、告訴対象となった側の悪行だけを書いておくのはフェアではないだろう。いわゆる自称「エートス支持者」であった人たちのことについても触れておきたい。

 原発事故が起きた後、放射能の安全性をめぐって大きな論争が起きたことは、その当時成人していたならば、まだ記憶にある人も多いだろう。あらゆるメディア媒体を巻き込んで起きた論争は、原発事故の動揺が大きかった東日本では、パンデミック同様に、生活レベルでも大混乱を巻き起こした。
 放射能リスクに対する危険派、安全派に二分されたなかで、私がどちら側に位置していたかといえば、まちがいなく安全派だ。
 私は、事故からかなり早い時期に、いろいろ調べたのちにではあるけれど、リスクについては標準的な科学スタンダードに従うことにしていた。判断が早かったのは、難しい慢性病をかかえる身内がいたため、標準的科学との付き合い方を知っていたことがひとつ。もうひとつは、私は事故前からイデオロギー論争は好きではなく、そちらの議論から影響を及ばされることがなかった、ということも大きい。イデオロギー論争についても、身近にその手の活動に深くコミットしていた人たちがいて、その発想パターンと議論の不毛さをよく知っていたのだった。

 当時は、原発事故を防げなかった、また予想できなかったとして専門家が吊し上げに近い状態で猛批判されていた。事故が起きて状況が不確定な時期に、楽観的予測をメディアを通じて述べてしまった専門家もいたため、科学者も「戦犯」とみなされていた。御用学者リストなる名簿もオンライン上で作成される騒動となっていた。名前を載せられたのは、原子力政策を推進したり、原発事故の影響を過小評価したとされる専門家で、当該の科学者のところには脅迫に近いことがあったりもしたらしい。このリストの存在は、長く、深い遺恨を残すことになった。

 そうした状況のなかで、標準的科学スタンダードに従い、科学者と呼ばれる人たちとも私は親しくしていたため、刑事告訴した相手からは「御用市民」とも糾弾される一方(なかなか独創的な用語である)、交流関係も同じような傾向の人が多くなった。
 とは言っても、私は、標準的なスタンダードは目安であり、選択については社会は一定の幅を持つべきで、被災者の裁量は広くあった方がいい、という考えだった。福島に居住することが危険だと言われれば、違う、と答えたけれど、避難したい人は、現地の激しい社会的混乱状況も考えれば、それも選択の自由として認められるべきだというのが基本的なスタンスだった。
 つまり、教条的に、科学に従えば正解がある、科学に従うべきだ、と言うスタンスは一度もとったことはない。

 しかし、私のまわりにいた人たちが皆同じようなスタンスであったかというと、一部を除けば、そうではなかった。そうした人たちは、自主避難者を激しく批判し、時間の経過にともなって福島の放射線量が健康に影響を与えるほどではないとわかるにつれ、Twitter上で口を極めて罵声をさえ浴びせはじめた。こうしたことを行ったのは、匿名アカウントだけではなかった。
 2014年頃までは、Twitter上でも自主避難者と思われるアカウントが見られたが、血祭りにあげんばかりの激しい集団攻撃を受け、ひとつふたつとアカウントは消え、やがてほぼまったく見られることがなくなった。以降は、わずかでも放射能についての不安をTwitter上で表出しようものなら、総攻撃を浴びる状態が続くことになった。オンライン上で、福島について語りにくくなったのは、これらの極めて攻撃性の強いアカウントたちによる集団攻撃が原因であることは、まちがいない。また、現在のTwitter上の原発事故後史観は、これらのアカウントによって形成された言説が支配的になっているため、大きくバランスを欠いたものとなっていることも指摘しておきたい。

 私のまわりには、まちがいなく、こうした反社会的とも言いうるほどの攻撃的な人々が「支持者」として存在していた。私が刑事告訴をしたことを明らかにしたのち、これらの集団は、狂喜して相手を攻撃しはじめた。私は、それを極めて不快に思った。
 私が告訴を公開したのは、既に書いたように電凸といった反社会的行為を本人やその支持者にやめさせるためだった。その警告の意味において、告訴を公開することは必要だった。一方、司法沙汰に持ち込むということは、私もそれなりのリスクを負うということだ。相手や、相手の支持者たちは、生涯にわたって私を敵と認識し、許すことはないだろう。相手が誰であれ、誰かから強い恨みを抱かれてこの先の人生を生きていくのは、愉快なものではない。それをわかった上で、それでもやらねばならない、と、少し大袈裟かもしれないが、「肉を切らせて骨を断つ」くらいの覚悟は持っていたつもりだった。そうした私の身を斬る覚悟に便乗して、相手を攻撃するという卑怯な姿勢をまず嫌悪した。そして、それらのアカウントが相手を攻撃すればするほど、攻撃された側は、私への憎悪を募らせるだろう。それは、告訴で相手が有罪になろうが無罪になろうが、変わることはない。彼らの攻撃の報いを受けるのは、私なのだ。その上、警察も検察も捜査の必要上、Twitter上の反応は監視していた。これらのアカウントが騒げば騒ぐほど、私への心証も悪くなり、捜査への差し支えもでる。
 私は、攻撃を自制するように繰り返し呼びかけた。良心的な人たちは、それに応じて、以後、沈黙を守ったが、そうではないアカウントも大量にいた。(いまでもtogetterで確認できるはずだ。)

 いつまでも狂喜しながら相手を罵り続けるアカウントを眺めながら、私は悟った。
 結局、こうした「ごろつきアカウント」は、私を盾に誰かを攻撃したいだけなのだ。彼らは、虎の威を借る狐で、科学者や、科学、福島などを盾にして、弱者をきもちよくいじめたいだけだ。

 同時に、これらの「ごろつき」が、告訴対象に対して激しく攻撃を加えたのは、相手が女性であることも理由であることも強く感じた。明らかに女性蔑視の文言を交えていたこともあったし、考えてみれば、自主避難者に対する激しい攻撃についても、自主避難者に女性が多かったことも背景であったと思う。社会秩序に反する女は、血祭りにあげろ、といわんばかりのその姿勢に、私は強い嫌悪感を感じると同時に、彼らは、決して私の味方ではない、と確信するにいたった。そして、彼らは福島の味方でもない。自分たちが気に入らなければ、次には、私や、ほかの福島の人でさえ攻撃のターゲットにするだろう。

 私のこの勘は正しかった。その後、私は、急進性と攻撃性を増した安全派の人々と距離を取りはじめるのだけれど、やがて、彼らは攻撃を矛先を私に向けるようになってきた。
 私は2016年頃から、意識してTwitter上の科学者クラスタとも距離を取るようにしはじめた。理由としては、科学的なデータが出揃って安全性が確認されはじめた時期から、慎重さに欠ける言動を行う人が増えてきた、ということだった。なかでも、科学の威を借りて弱者を攻撃したいだけのアカウントと距離を取らず、それらが形成する科学者ファンクラブのなかに抵抗なく収まっていた科学者もいた、ということが最大の理由であった。
 自主避難者や放射能リスクについて多少なりの不安を持つ層は、上に書いたような状況で、オンライン上からはほぼ姿を消していた。だが、私の現地での活動のなかでは、そうした人たちには頻繁に遭遇したし、またそうした人たちは特殊でもなく、ごく普通の善良な市民である、ということも知っていた。放射能へのリスク感は強いが、社会を支え、友人隣人と助け合い、困っている人を助けたいと思い、日々、自分の生活を精一杯生きている。そういう人たちに、放射能のリスク感が違うというだけで口をきわめて集団で攻撃する人たちと、どちらが人間として尊敬できるかといえば、考えるまでもない。
 自主避難者を含めたリスク感が強い人やその周辺にいる人たちも、Twitter上ではほぼ沈黙を守るようになっていたけれど、2017年以降は、実際に顔を合わせたときや、Twitter上でのふとした発言から、こうした弱者いじめをはじめとする粗暴な振る舞いを諌めもせず、容認する科学クラスタに対して、激しい憤りを抱いていることが気配として感じられるようになってきていた。そうした感覚を抱いているのは、放射能リスク感が強い層だけではない。現地で支援活動を実際に行なったり、あるいは、福島の状況をじっと注意深く見守っているような層からも、会話をした時に不快感をあらわす語が頻繁に聞かれるようになっていた。距離を取らないでいると、私自身も同じように、弱者いじめを容認する者とされるだろう。
 そうした判断から、私は意図的に科学クラスタと距離をとり、またしばしば批判的に言及するようになっていた。そして、そのことによって、私は「科学」に楯突く人間として、これらのアカウントからの攻撃対象となることとなったのだった。ちなみに、ここでの「科学」は、彼らが認識する意味での「科学」、要は、他人を攻撃するための武器としての「科学」であり、きわめて恣意的なものである、ということは注記しておく。

 この状況は、現在も続いているが、私はこの論争には興味を失っているし、今後も自分がコミットするつもりはまったくない。その理由については、次の稿に回したい。


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