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1コ100えん

 近ごろ、「ぬ」の様子がおかしい。
 夕方帰宅すると、なんだかぐったりしているし、夜布団に入る前に小さな声で
「1コ100えん、1コ100えん」
と呟いていたりする。
 ここのところの暑さのせいかと思ったけれど、なんだか違うようなので「1コひゃくえん…」と言っている時を見計らって尋ねてみた。

 「なにが1コ100円なの?」

 「……ぬ。」

 驚いて聞き返す。「ぬが1コ100円なの?」
 ぬは、ちょっと困ったような、悲しいような顔をしてうなずいた。
 「ぬ、おやさい売り場で売られてるの…」
 「なんだ、ぬはここを出ていって新しい人に貰われたいの?」
 と訊くとぬはぷるぷると頭をふった。
 「だって、おやさい売り場に【ぬ 1コ100円】て書いてあるから…。ぬ、そう書いてあるからそこにいなくちゃと思って…」

 話を聞くとこういうことだった。
 歩いて小一時間くらいの所に、無人野菜販売所がある。ある日、ふらふらとその辺りを散歩していたぬは、販売所の棚に「ぬ 1コ100円」と書いてある札を見かけたのだ。
 札があるからには、そこにいなくちゃならないと思いこんだぬは、それから毎朝私が出掛けた後、小一時間かけて販売所まで歩いて行き、日がな一日ちょこんと棚に列んでいたのだそうだ。
 横に並んでいるジャガイモやかぼちゃやナスは売れてゆくのに、ぬだけは売れない。ぬは一生懸命おうたをうたったり、少しだけ踊りをおどったりして、アピールしたけれど、誰もぬを買おうという人はいなくて、毎夕とぼとぼと歩いて家まで帰ってきてたのだそうだ。
 
 「ばかだなぁ、ぬは。そんなの誰かの悪戯だよ。
  ぬが本当に来るなんて思わないで、冗談で書いたんだよ。
  明日からは行かなくていいんだよ。」

 そういうと、ぬは心底安心した顔をした。
 「ぬ、ほんとうは行きたくなかったの…」

 「ばかだなぁ。第一、人間にぬの姿は見えないんだから。
  だから誰もぬのこと買わなかったんだよ」
 「ぬ、自分がダメだからだと思ってた…」
 「ばかだなぁ。安心しておやすみ」

 そういうと、ぬはうなずいて私の脇の下で小さく丸くなった。

 ぬがぐっすり寝込んだのをみはからって、懐中電灯片手に無人販売所を見に行ってみた。
 そこの棚には、「1コ100円」の札が掛かっていて、札には耳があって尻尾もある可愛らしい動物がにこにこ笑っているイラストが描いてあった。
 多分、ぬはこの絵を自分のことだと勘違いしてしまったのだろう。
 おかしなやつ。
 それにしても、1コ100円でぬが売られて行かなくて良かった。
 夜空を見ながらぬのいる家に帰った。

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