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復興と女性

 避難指示区域になっていた川俣町の山木屋地区の70代の男性の友人と話していた時のことだ。山木屋地区は避難指示が解除されたのち、避難区域の大概の地域がそうであるように、大きく減少している。

 高齢者世帯だけで戻り、時間が経過して、高齢者だけでは生活が成り立たなくなって、避難先に居を構えた子供たちのところに引き取られる世帯も散見するようになった。避難指示解除にあたって、だいたい「戻りたい」というのは男性で、女性は「戻りたくない」という人が多かった。とりわけ、お嫁さんが嫌がった。

 彼は言った。今にして思えば、避難指示が解除され、お嫁さんが「戻りたくない」と言っていたときに、なぜ、それならお嫁さんたちの声を聞いて、女性が住みやすい地域にしていこう、そういう考えが浮かばなかったんだろう。必要だったのは、そういうふうに地域を変えていくことだったのかもしれない。

 女性、とりわけお嫁さんが戻りたくないというのは、山木屋だけでもなく、どこでも同じだった。末続でも同じだった。最初は、子持ちの若い母親は放射能を怖がるから、と言われたけれど、実は、放射能じゃなくて三世帯同居が嫌だったんだよね、という会話は普通になされていた。(実際には、「どちらか」だけの理由ではなく、両方とも、ということであったろうけれど。放射線量が低くなっていくごとに、後者の比率は上がっていった。)

 私自身を振り返ってみてもそうなのだけれど、なぜか不思議に、それならば、若い女性が暮らしやすいように、元々の地域のあり方を変えよう、という声は聞かれなかった。元に戻すことだけが唯一の選択肢であると、ほとんど誰もが疑っていなかった。

 これは、若い女性の声など聞くに値しない。彼女たちは考え違いをしている、わがままを言っている、との前提があったから、ということかもしれない。よくよく考えてみれば、考え違いをしていたのは、これまでの女性に過剰な負担をかけてきたあり方を変えよう、という発想に至らなかった側かもしれないのに。

 川内村は、村の政策として、シングルマザーにターゲットを絞って、各種支援策を充実させた。新規移住も呼びかけて、子育て支援だけでなく、住居や仕事の確保も支援するという政策を打ち出し、成果を上げていると報じられている。女性が住みやすい政策を全面に出せば、住みたい人はやってくるのだ。

 避難区域の看護師や介護職が不足している、と盛んに報じられていたときに、私は、看護士さんや介護職でシングルペアレントで仕事をしている人は多いはずだから、ただ困っています、と呼びかけるだけでなく、例えば、夜勤の時の託児体制などを充実させ、また、昼間の子育て支援策を打ち出せば、都会で子育てと仕事の両立に困っているシングルペアレント世帯が来てくれる可能性は高いのではないか、と思っていたけれど(Twitterには何回か書いたことがある)、そうした包括的な対応が取られたという話は聞いたことがない。

 女性の意見を取り入れていれば、仕事と子育ての両立支援策や、女性が暮らしやすい地域に、という意見は、おそらく、かなり早い段階で出て来ていた意見ではないかと思う。潤沢な復興予算があったときに、この対策を打っておけば、日本の中ではかなり先進的な取り組みが可能になったのではないだろうか。

 これは私自身の反省点でもある。

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