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2024年頭所感:漂泊の時代のはじまりに

 年明けに年頭所感を書くことを恒例にしていたが、年越し直前に風邪をひいてぐずぐずとしているうちに、能登の大地震が起き、正月という雰囲気でもなくなってしまった。それでも、節目ということで書いておくことにしたい。

 2023年の後半は、修士論文の追い込みに加えて、OECD/NEAのワークショップ参加、ダイアログの開催、ICRP2023への参加と札幌のリスク学会でのセッション準備に、細々と締め切りや大学院の単位取得授業もあり、正直、自分でも乗り切れるかどうか不安だった。
 それでも、なんとか乗り越えることができた。修論は、もう少し時間をかけて質を上げられたと思うのだけれど、口頭試問も終え、無事、認定はいただける見込みとなった。3月には、修士が修了する予定だ。そのあとは、どうするかと思ったのだけれど、引き続いて、博士全科生で博士課程(後期)に入学することにした。(同じ奈良ゼミ。この試験も秋にあったので、てんやわんやだった。)
 自分の勉強不足のせいもあって、修士だけだとまだやり足りない感じがしたのと、福島復興関係にかかわればかかわるほど、あれだけの資本と労力を投下しながら、なぜこれほどまでに福島復興政策はうまくいかなかったのか、と疑問(というよりも憤り)が強まるばかり、ということが背景にある。

(「避難指示が解除されました」、といった断片的ニュースだけを見ていると、順調に進んでいるように見えるだろうけれども、復興予算を投下して国家と東電丸抱えでかろうじて「復興」の体裁を維持しているだけだ。予算が切れた後の見通しも戦略も、驚くくらいにはまったく持たないまま来ているので、復興予算が切れる2025年以降は、急激な人口減少とそれに伴う国力低下と相まって、控えめにいってかなり大変なことになる、というのが大方の予想だろう。それに気づいていないのは、湯水の復興予算に慣れきってしまい、それが今後も可能であると夢見ている地元側為政者のみ、というところだ。)

 福島復興政策のなにが失敗だったのか、ということを研究テーマにして、博論を書いてみたいと思っている。修士は勢いだけで入ってしまったところがあるので、博士はもう少ししっかりとやろうと考えている。
 あと、学費を稼がなくてはいけないので、書き物や講義バイトなどありましたら、ぜひお声がけください。

 全般的な福島復興に関連した状況は、2022年の年頭所感に書いたことと変わることはない。あの時感じた「ここから先はどこまで行っても同じ風景」は、正しかったと思う。表面上はゆるやかに、しかし、水面下では直滑降で衰退に向かっているにもかかわらず、冬の浜辺の風景はおだやかで、陽射しはやわらかく、空も海も明るい。

 2023年は、世界的な動乱の年にもなり、世界史的な大転換が始まった、と普通に言われるようになった。個人的にも、年明けに「人生スイッチを切り替える」と宣言したとおり、大きな変化が起きた年になった。生活のしかたが大きく変わったわけではないけれども、英語での会議対応ができるようになったということが一番大きいかもしれない。(パンデミックの時期、社会と没交渉で心細さに泣きながら、英語勉強をしていた。「笑」をつけるところか、ちょっと迷う。)

 かすかに残存していた、戦後の安定はその残り香も消え失せ、これからは漂泊の時代になるのだろう。
 銃殺された安倍氏は、戦後の残り香を体現していたような人だった。もはや消え失せつつあったにもかかわらず、それがまだ強固に存在するかのような虚構を作り上げることに、実に長けていた。それによって、昭和の成功の記憶がある年寄りたちの怠惰な精神を助長し、若者たちの変革への熱意を挫けさせ、日本全体として新たにやってくる大変化への備えを失わせた。そのことは、これから経験される漂流を、おそろしく厳しいものとさせたのだが、ご本人はそんなことは露とも思わず、この世からいなくなった。果たしてそのことは、本人にとって幸運だったのか、不幸だったのか。

 「政治不信」「令和のリクルート事件」との紋切り型の報道を見つつ、いや、人びとが抱いているのは「不信」などという生ぬるいものではないだろう、と思う。人びとは、憎んでいるのだ。自民党を、自民党が体現する、戦後この国が築いてきた豊かさを無碍に蕩尽し、食い物にし、そのことをいまだ反省しさえしない、傲慢な既得権益為政者たちを憎悪し、腹の底から侮蔑しているのだ。足元の地の奥底で蠢いているこのマグマが、今後、どのような形で表面化するか、あるいはしないかによって、この社会の行く末が決められるのかもしれない。

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