災害対応、復興支援にあたる人におすすめの書籍

 能登の震災は、まだ緊急対応の状況ですが、災害対応は、次におこることを予測して、先手先手を打って様々なことを同時並行で進めていく必要があります。
 災害直後の対応が、その後の被災地の運命を決定づけることも少なくありません。それぞれの災害の起きた条件によって、個別の事情は異なってきますが、人間心理の動きであったり、大枠で問題になるところは共通している箇所は多く、過去の知見を踏まえれば、一定程度、なにがこの先課題になるのかは予測することは可能です。

 これから災害対応や復興支援にあたる人に、事前に読んでおくことを強くお勧めしたいのは、宮地尚子『震災トラウマと復興ストレス』(岩波ブックレット)です。
 過去に災害経験のない人は、あるいはあった人でも、被災地とかかわる上で、どんな問題が発生するのか、なにに気をつければいいのかということが、コンパクトにわかりやすくまとめてあるので、起こりやすいトラブルを未然に防ぐことができると思います。
 プリント版は品切れですが、電子書籍版は入手可能です。価格も550円と非常に安価なので、絶対的に読むことをお勧めします。

 https://www.iwanami.co.jp/book/b254352.html

 少し時間があって、もう少し詳しく知りたいという方には、ラファエル『災害の襲うとき ーカタストロフィの心理学』(みすず書房)も、お勧めです。時間経過にともない、被災者や被災地でなにが問題となるのか、といったことが詳しく書かれており、先行きをみとおすにも大変有益だと思います。いわゆる古典的名著のなかに入る著書なので、お値段高めではありますが、価値のある本だと思います。

 ただ、ラファエルの本は、初版1986年で少し時間が経っていて、現在の災害学での問題をカバーできていないところもあります。特に昨今よく指摘されるのは、復興段階におけるレジリエンスには、コミュニティが大きく関与するということと、災害の被害をより強く受けるのは社会的弱者であり、復興段階においてそれを考慮に入れない場合、復興は、被災地の権力勾配を増強し、もともとあった社会格差を強化することが多い、ということです。
 つまり、社会的弱者ほど、復興の過程で不利な状況になっていき、かたや、社会的強者ほど復興に満足を覚えるという状況が発生しやすくなります。
 福島の復興過程で、女性のポジションが弱くなったと私は繰り返し指摘していますが、それは、復興過程で、権力勾配に注意を払うことなく復興事業を行い続けた自然の帰結なのだと思います。
 こうした内容について、日本語の一般書籍で書かれた本もあるのだと思いますが、私はわからないので、どなたかにあげていただければと思います。

 大災害の被災者になると、災害で被災した現実そのものに加えて、以下のような事象にも直面し向き合わねばならなくなります。経験したことのない人には、わからないことだと思いますが、これらの事項ひとつひとつがもうひとつの災害と呼べるほどには、厄介です。

・行政をはじめとする制度の硬直性 
・支援をはじめとする人間関係の複雑さ
・「被災者」というスティグマ
・ソーシャルメディアや報道によって作られる偽りの自己像

「被災者」というスティグマの意味は、わかりにくいかもしれませんが、「被災者」になっただけで、なぜか特別扱いされたり、普通の人よりも軽く扱われる状況になります。上記の書籍を読むと、こうした事例について説明してあるので、非常に参考になると思います。

 今回の能登の特殊条件は、現在わかるところでは、高齢化が進んだ地理的条件が極めてよくない半島という地域で、もともとの居住環境が壊滅的と言えるほどに損なわれた、という点であろうと思います。
 東日本大震災の津波の被災地も、実を言えば、同じような状況のところはあったわけですが、当時よりも日本全体の高齢化も進み、人口減少がはじまり、ヒューマンリソースにおいても、財源の面でも余裕がない、というところは大きく異なるところだろうと思います。
 政府の動きが遅い、と言われるのも、災害対応はかかわる部署が非常に多いため、一元化してすべてに指示を出すことが難しく、内閣が大きな方針だけ出したあとは、各組織の自律的で自発的な動きで一斉に進める形になるのですが、中央政府の弱体化と国力の低下によって、自律的で自発的な動きをする力が落ちているため、気を利かせて、自発的に先手を取って動く、という動きが出なくなっているのだろうと思います。

 東日本大震災時の非常時に、グッドプラクティスとしてのちに賞賛されるような動きの多くは、気を利かせた担当者の個人プレーと呼べる動きがうまく機能したものでした。災害対応専門部署が存在するわけではない日本の行政組織が、非常時に機動的な動きをしようと思ったら、モチベーションのある優秀な個人のネットワークが機能して、臨機応変に動く、という形しかないのですが、政治主導と官邸一強支配の恐怖政治が敷かれたなかで、役所内のモチベーションも落ちて指示待ちになっていますから、先手先手を打った動きが出てこないのはこうした事情だと思います。
 もっとも、こうした個人プレー依存は、短期間の非常時しか機能しないので、長期にわたる復興過程で持続的に維持できるものではありません。持続的な機能的なネットワークをどう構築できるかは、復興過程の要になると思いますが、権威主義の中央依存構造化がより進んでしまった日本で、それが可能かどうかは、なかなか厳しいところのように見えます。

 復興財源をどうするかという話題が、国政側から出ていないところからも、政治側もあまり機能していないのだろうと思います。東日本大震災の復興財源の議論は、ただちに始まっていたのではないでしょうか。


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