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いつも そばに ねき がいた

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18年間いっしょに暮らした愛猫ねきと過ごした日々を書きためます
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ニロウあんにゃに会う-いつも そばに ねき がいた

 ユキオさんにこの村に引っ越すことに決めたと話したら、おだやかな顔がくずれそうな笑顔でよろこんでくれた。そうと決まったら、田舎の村だから、まずは「組長」さんに挨拶をした方がいい、という。 組長さん? ヤクザでもあるまいし「組」ってなに?  話を聞くと、どうも隣近所の集まりのことらしい。街場でいう自治会に近いのかもしれないけれど、もっと付き合いは濃くて、軒数も少ない。ゴミ収集場所の管理も、回覧板の巡回も、葬式も結婚式も、あらゆる地域の活動は組単位で行うので、入ってもらわない

ねきが来る前 -いつも そばに ねき がいた

 私たちが初めてこの村に来たのは、ねきが家に来るちょうど1年前だった。高原の集落にも遅い春が訪れ、芽吹きと同時に一斉に野山の花が開く、美しい時期だった。  この村を見つけたのは、たまたまだ。  その前は、千葉県の船橋というところに住んでいた。  世はデフレスパイラル真っ只中で、公共工事の削減も続き、建設業界はどこも青色吐息だった時代だ。夫の勤めていた造園会社の専務が、景気が悪くてボーナスを大幅カットしたい、と言ってきた。  とは言っても、その造園会社は、地主の2代め社長が

白いうんち  -いつも そばに ねきが いた

 季節は4月の終わりになっていた。  そうは言っても、標高650メートルの山中では、明け方に霜が降りるくらい冷え込む日もある。毛布にくるんで寝かせるだけでは、まだ体温が安定しない子猫の体温が下がってしまうかもしれない。とは言え、掌に入ってしまう大きさにしかならない子猫だから、一緒に眠ると踏み潰してしまいそうだ。電気こたつだと温度が上がりすぎて、やけどしてしまうかもしれない。あれこれ思案した結果、湯たんぽを作ることにした。  お湯をいれたペットボトルをたくさん用意して、それを

ねき、250グラム -いつもそばに ねき がいた。

 ハルキさんのところに、1週間くらい前に生まれたばかりの子猫がいるんだって。前から、猫を飼いたいって言ってたろ? もらってくるといいんじゃないか。  夫が帰って来るなり、そう言った。  ハルキさんは、アーティストだ。森の中の一軒家に住んでいる。「森の中」という説明で正しいかどうかはわからない。木立に囲まれた、沢がぐるっと周囲をまわっている、造成もしていない山陰の敷地に住んでいる。  昔は、炭焼きをしていた一家が住んでいたそうだ。「あばら屋」よりは、ちょっとだけ作りのしっ

まざりのいた頃 -いつも そばに ねき がいた

子供のころ、猫を飼っていた。 最初は、母が知り合いから1匹の雄猫をもらってきたことがはじまりだった。その雄猫は、当時流行だった「アメリカンショートヘア」という種類に似ていて、シルバーの模様に、ふわふわした毛並みがしゃれていた。 私は小学校高学年くらいだったろうか。猫は好きだったので、素敵な毛模様の猫が来たことがとてもうれしかった。 雄猫がうちに来てしばらく経つと、「友達」を連れてくるようになった。母が、ガレージに、変な模様の猫がいるという。顔がどこにあるのかもわからない。も

ねきのお墓

埋葬した最初の日は、庭に咲いていた黄菖蒲をいけました。ねきと同じ色のお花。 いまは、夏の花が咲き始める前なので、花が少ない時期なのですが、紫陽花が色づいてきたので、生け替えました。 水色のベンチに腰掛けていたこともありました。

猫埋葬記

 老猫が死んだ。  その前々日あたりから、外の風通しのよいまったいらな床面の上で寝転んでいることを好んでいたから、洗濯物を干している午前中は足元のコンクリ土間へ寝かせ、昼前、直射日光が強くなりはじめた頃に室内のいちばん窓際の風が通る場所に移し、バスタオルの上に寝かせた。  午前中のうちは、周りに動きがあると、ノロノロと顔を上げ、体を起こそうとしたりもしていたけれど、昼頃には、それもなくなり、ほとんど身動きせず、体を横たえたまま呼吸だけをしていた。同じ姿勢のままもつらいだろう