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夢の中で光駅改築

久しぶりにものすごくリアルな夢を見たので備忘録。
とにかくそこは山口県の山陽本線光駅だった。
つい最近、駅の改築が完了したというので取材に来ていた。現実に訪れたのは3年前で、当時は昭和50年代に改築された吹き抜けのある平屋建てコンクリート駅舎(写真上)。それが3階建ての橋上駅舎に改められていた。バリアフリーも備えたホームからエレベーターで改札階へ上がる。本来の橋上式というのは、ホーム上空、構内を跨ぐ自由通路(歩道橋)に接する形で整備するもの。その先駆けとして知られるのが、隣の下松(くだまつ)駅だ。
ところが、新築の光駅は、階上の跨線橋が南側のビル状の駅舎へ繋がるのみで、北側へすぐには抜けられない。改札口からはコンコースを直角に折れて広々としたペデストリアンデッキに出る。つまり、かつての地平駅舎の位置から見ると、新駅舎は駅前広場の右端、西側に寄せられている。これは筑豊本線直方駅(福岡県直方市)、山陰本線豊岡駅(兵庫県豊岡市)など、近年の地方都市でよく見られる手法である。

西日本初の橋上駅舎とされる昭和40年築の下松駅


光駅前のペデストリアンデッキは、駅構内を跨いで延長され、背後の住宅街につながっている。これにより、実質的に橋上駅舎の機能を果たしているわけで、こうした構造の駅は「半橋上式」とも呼ばれる。鹿児島本線黒崎駅(福岡県北九州市)などがそれに当たる。
新しい光駅前は、この空中回廊が公園のように広場を覆い、両極に駅舎と、市出張所などが入居する公共施設を擁する。地平駅舎の跡はどうなったかといえば、デッキ下の陰で目立たないものの、旧駅舎が減築されて残り、吹き抜けの形状はそのまま、バスの待合所に。これを取り囲んでバス・タクシーの営業所、それに観光案内所が入居している。目立ったのはスーツ姿のビジネスマンで、光駅自体は市街の外れ、むしろ瀬戸内海に面したマリンリゾートのような雰囲気が漂うけれども、光市は昭和の時代から日本製鉄の拠点工場が立地することで知られる。繁華街を挟んで南東に位置する一大工業地帯へは、バスかタクシーでアクセスすることになり、駅改札前から階下の乗り場まで、丁寧に誘導案内がされている。
肝心の駅舎はというと、デッキに遮られて外観全体をとらえることができない。反対側の公共施設もしかりで、ビル形式の建物そのものに特段の意匠はうかがえない。そのぶん、デッキのデザイン、色彩にこだわりが見られ、直結する建物とも、アイボリーとチョコレートの2色で統一されている。特に駅前通りから見ると、デッキの橋脚がチョコレート色にずらりと並び、海岸の松林を彷彿とさせる。が、一方では工場萌え、プラントの鉄管が折り重なるかのようにも見える。市の担当者に聞けば、まさにその両方を想起させる意図だという。

夢で見た光駅舎はこれに近かった(東海道本線安城駅・愛知県安城市)

取材を終えて改札口を入り、階下のホームへ下りる。駅前の景観は一変したものの、構内はいくつか線路の撤去された跡が残り、空虚さが勝る。山陽本線は新幹線の開通後も長らく、大動脈の貫禄を湛え続けてきたが、21世紀に入ってじわじわと斜陽の流れに飲まれつつある。かつては特急停車駅だった光駅にも、今は各停が通るのみ。もっぱら、新幹線の徳山駅から3駅のシャトル運送に徹しているかのようだ。
そんな感慨の一方で、新駅舎から始まる今後のまちづくりに期待をかける中、ふと一匹の子猫が目に留まった。階段の陰でうずくまり、消え入りそうな声をこちらに向ける。どうしたものかと考えているうち、目が覚めたという次第。なぜ、こんな夢が展開されたのか。そもそも、なぜ光駅なのか。何年か先に正夢となるのか。謎が謎を呼ぶ真冬の夜の物語だった。

現実の光駅構内
現実の光駅前風景

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