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今月のひと駅-2024年1月

柳井(山陽本線)

やない駅 山口県柳井市
明治30年開業

主役は鉄道から白壁へ

 一時は路線名にまで採られた柳井のまちは、長らく交通拠点の性格が強かった。柳井港の存在から、四国への一玄関という要素もあるものの、ブルートレイン全盛時代を知る人からすれば、柳井は広島と下関の間で、かつての小郡とともに印象深い中継駅に違いない。それは、柳井に鉄道関係の業務施設が置かれ、特急列車の多くが停車して、機関車の入れ替えや乗務員の交替などが行われたためだ。

 それでも、柳井市の人口は最盛期でも4万程度。いまだ減少傾向が続いていて小都市の域を出ない。この現実が、かつて繁栄を極めた柳井駅に突き付けられているかのようで、もはや高速交通とは縁遠く、静けさが目立つようになってきた。昭和30年代に建てられた2階建てのコンクリート駅舎は、当時の都市駅改築の最新様式。もっと大きな都市だと、やたらに長い駅舎の2階にステーションデパートを導入するのが常だった。柳井駅はそこまでの規模はない、業務施設に徹したものだが、改札ホールが大きく吹き抜けになっているのは、主要駅だったことの象徴である。

 機関区の施設が撤去されて構内は寂しくなった半面、駅前は拡張整備されて、より明るくなった。正面には伝統工芸品の金魚ちょうちんが水槽のようにモニュメント化されて目を引く。駅舎内の観光案内の充実ぶりを見ても、ここが鉄道のまちから脱却して観光誘致に力を注いでいるのがわかる。オルゴールの音色が時折り流れる、麗都路(れとろ)通りと名のついた駅前をまっすぐ歩いて柳井川を渡ると、すぐに観光の目玉である「白壁の町並み」に至る。

 鉄道全盛期には目立っていなかったが、昭和59年に国の伝統的建造物群保存地区の指定を受けてから、俄然、注目を集めるようになった。そこには、どうして長年、知られざる存在だったのか不思議なほどに美しく、整然とした蔵造りの通りが現役のまま息づいている。それぞれの蔵が見学用だったり、資料館だったり、工芸品やグルメの店だったりと、道行く人を受け入れる機能も十分。石畳を挟んで軒先を飾る金魚ちょうちんの列が愛らしく、コントラストを際立たせる。これからもまだ人気が高まるに違いない、心に残る歴史観光都市である。

 ここまで白壁のイメージが定着してくると、やはり玄関駅のインパクトが気になる。全国的にも高度成長期型のコンクリート駅舎は、再改築が活発になっているが、柳井駅をめぐる新たな話題はまだ聞かれない。駅裏の新市街にも配慮した橋上化の議論が順当だろうけれども、全面改築とするか、デザインを含めた改修にとどめるか、いずれにせよ白壁をコンセプトにして全国へ発信できる存在となってほしい。

【2019(令和元)年取材】


駅前の金魚ちょうちん
白壁のまち並み①
白壁のまち並み②

(駅路VISION第26巻・山陽本線Ⅱより抜粋)


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