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ティファナ前編 Tijuana, La Ciudad Fronteriza

2020年2月、ずっと行きたかったアメリカ・メキシコ国境の街ティファナに行く機会があった。本当に貴重な経験の連続だったので、忘れないうちに文字化しておきたい。

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首都メキシコシティで生活していた自分にとっても、国内最西端の街、ティファナは身近な存在ではなかった。外務省の治安レベルは2(不要不急の渡航は止めてください)であり、以前は有名な麻薬カルテルが拠点を置いていた街である。

要するに、観光旅行でふらっと行けるような街ではなかった。だが、なんとしてもメキシコ留学中に国境を見たい、移民が集まる国境の街の様子を知りたい、という好奇心を捨てきれずにいたところ、ティファナ に移民調査に行く方と知り合い、なんとか頼み込んで自分もついて付いていくことができた。

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郊外の空港から中心部に向かうタクシーに乗り車窓を眺めていると、米墨国境のどこまでも続く頑丈な壁が視界に入ってきて、ついに自分がティファナに来たことを実感した。数年前に強化されたばかりのいわゆる「トランプの壁」だ。この国境を今まで、何人の人が超えることに成功し、何人の人が命を落としたのだろうか...

車道の脇に、大きな荷物を持ってたむろしている人たちを多く見た。タクシーの運転手によれば、つい先週に中米諸国(ホンジュラスなど)から到着したばかりの移民キャラバンの人たちであるとのことだ。彼らは、母国の暴力、麻薬問題から逃げる形でメキシコに入り、最終目的地アメリカを目指してアメリカ国境までたどり着いた移民たちである。国境に着いてこんなにもすぐに、移民の存在を感じ取れるとは思っていなかった。

国境

国境に触れてみたいという想いから、国境の壁があるLa Playa de Tijuana(ティファナ海岸)を最初に目指した。海岸沿いは、観光客向けのお土産ショップやバーなどで賑わっていたが、そこから少し歩けばそこに国境は存在した。

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正面に国境、左側に太平洋を望みながら国境に近づいてみる。興味深いことに壁は海の中にも伸びている。これは、不法移民が泳いで国境ごえをしないようにとのことであるが、今まで多くの人が荒波にのみこまれ命を落としたという。

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国境と自分

壁には、様々な壁画が描かれており、非常にメッセージ性の強いものばかりであったので、その中で印象的だったものを紹介したい。

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"NO HAY FRONTERAS"(国境は存在しない)と書かれた、国境上にある壁。

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アメリカとメキシコの国旗が組み合わされるように描かれた、米墨国境上の壁。

メキシコ側から壁を通して遠くをみると、アメリカの大都市サンディエゴの高層ビル群が見えた。こんなに近くに存在する二つの国の間に、やはり大きな経済格差があることを改めて痛感した。その経済格差が、南からの移民がこの「壁」を越えて北を目指す要因となっていることも非常に皮肉的である。

しばらく物思いにふけりながら国境近くを歩いていると、大きなバックパックを背負った青年から "What time is it?" と英語で時間を聞かれた。普段スペイン語ばかりで英語を話す機会がなかったので、"Son las 3 de la tarde." とあせってスペイン語で返してしまった。しかし、彼は理解した。時計も携帯も持たず大きな荷物を持ちスペイン語を理解したあの青年。

きっと彼も、国境越えを試みてこの街にやってきた移民であったのであろう。

中心部へ

次に、町の中心部もぜひ訪れてみたかったので、タクシーでAvenida Revoluciónという大通りを目指した。

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この大きなアーチがティファナのシンボルである。観光客で賑わっていて、特にアメリカからの観光客が目立つ。メキシコ、スペイン語圏の雰囲気を味わいたい人向けに、アメリカからのツアーも頻繁に組まれているという。英語の会話が飛び交い、買い物はドルですることも可能だ。

それにしても雲ひとつない良い天気であった。70年代の曲で、"It never rains in southern California"というのがあったのを思い出したが、ここティファナは本当にアメリカカリフォルニアの目と鼻の先である。

ティファナは、夜の街としての顔も持つ。

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日が暮れてからは、とりわけ国境に近い中心地 Zona Norteという地区でクラブやバー営業を開始し大変賑わう。もちろんターゲットは、北から遊びに来るアメリカ人たちである。メキシコでお酒が飲めるのは18歳、アメリカは20歳、つまり、お酒を飲みにくる若者も多い。もともとティファナという街が大きく発展したのは、20世紀初頭のアメリカにおける禁酒法時代に酒を求めるアメリカ人が多く来て発展した時期であり、その名残を感じた。

写真を撮ることははばかられたが、壁沿いに何人も娼婦が並んでいる光景も目にした。特に危ない雰囲気は感じ取らなかったが、独特の空気に包まれた地区であった。

食べ物から見る、移民の街ティファナ

国境の街ティファナでは、多くの素晴らしい食べ物に出会うことができた。

まず、今や世界的に有名なシーザーサラダ、実はティファナ にある高級ホテルのレストランが発祥である。もちろん足を運んでみた。

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サラダというより大きな葉っぱが1枚、という感じだったが大変美味しかった。これももともと、イタリアからの移民がここで考案した料理であるという。さすが移民の街である。

こちらは、ハイチ料理である。

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なんと、カリブ海の島国ハイチからの移民がティファナには多くいる。民族的にアフリカ系の人が多いハイチ人は、ティファナという街の民族的多様性を一層豊かにしている。レストランでは、フランス語が飛び交っていた。バナナを焼いたお菓子(?)がついてきたが、以前キューバ料理を食べた時にもあった気がする。カリブ海地域で一般的に食べられているものなのだろうか。

こちらは、日本人が経営するラーメン店で食べたラーメンだ。

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我が横浜の家系ラーメンには劣るものの、久しぶりの日本食に舌鼓をうった。レストランではあいみょんの曲が流れていて、自分がアメリカ・メキシコ国境にいることを忘れてしまいそうであった。

そして、こちらが留学中に食べたタコスの中で最も美味しかったタコスである。

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メキシコ人の友人達からは、ティファナのタコスは絶品だよと言われていたが、本当に本当に本当に美味しかった。絶対にこのタコスをもう一度食べるために、ティファナにいつか帰る予定である。

このように、食べ物の観点からもティファナが様々な国からの移民で構成された街であることがうかがえた。



メキシコ留学中は様々な街を訪れたが、とりわけ印象に残っているのはこの国境の街ティファナだ。異質なものが調和し、新たな価値観が作られている現場を体感することができた。南から押し寄せる移民、彼らの目的地である北から遊びに来るアメリカ人が集まり、立ちはだかるかのようにそびえ立つ国境の壁のそばで、この街は一体どこへ向かうのだろうか。

前編では、ティファナの街の表側を紹介したが、「ティファナ後編」では、国際機関や移民支援施設、税関を訪れることで見えてきた、移民の現状という視点からこの街の裏側にスポットを当てて紹介したい。自分が経験したことをそのまま伝えることで、一人でも多くの人が国境に滞留する移民の存在に気付いてもらえれば幸いだ。是非ご一読を。
↓「ティファナ後編 移民調査」
https://note.com/ander21juan8/n/n5df5da672181



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