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私のものつくりのルーツ

私の母は私が1歳くらいの頃から幼稚園を卒園するまで自宅に工業用ミシンを置き、男子小学生の黄帽のメッシュのメガネの部分を縫い付ける内職をしていました。

私はその傍らで本を読んだり、折り紙を折ったり、ぬりえをしたり。
工業用ミシンの音はとてつもなくうるさくて、母に話しかけても私の声は届きません。
なので私はミシンの手が止まる隙を見つけては、今日幼稚園であったことを話したり、上手に塗れたぬりえを見せたり。
一見、さみしい幼少期のように思うかもしれませんが、幼い私は特にそれを【さみしい】とか【切ない】とか思ってなくて、それが【普通】でした。
なんなら、とてつもなくうるさいミシンの音は心地よく、その側で眠ってしまうこともありました。

私の母は編み物も大好きで、手編みの【チョッキ】を編んでくれたりもしました。
自宅には立てると幼児の私よりはるかに背の高い編み機がありました。
これを出すと場所はとるしなにより「ジャージャー」とものすごくうるさいのです。
テレビを見ながら編み機で編みたい母はテレビのある部屋にこれを置くので私からすればとても迷惑でした。

工業用ミシンの音の方が比べ物にならないくらいうるさいのに全ての音をかき消してしまうミシンの音より、微かに声が聞こえる編み機の「ジャー、ジャー」という音の方がキライでした。

母は私が小学生になるとミシンの内職は辞めてパートへ働きに出掛けました。


私は【鍵っこ】になり、下校後は自分で鍵を開け母が帰るまでテレビを見て過ごしました。
当たり前に聞こえていた工業ミシンの音はなく、テレビの音だけが響く部屋がとてつもなく寂しかったのを覚えています。

下校後一人で過ごすことにも、工業用ミシンの音がなくなったことにもすぐに慣れ。
母がパートと生活の中で編み機を出さなくなった事は気にもならなくなりました。
小4になった私は当時読んでたティーン雑誌の影響でバレンタインデーに好きな男の子にマフラーを編むことにしました。

一度もやったことがない編み物。
人生初の手編み作品が好きな子への贈り物なんて、今考えたら無謀です。

表編みだけ母に教えてもらいひたすら編む。
目の大きさもバラバラで上手くいくはずもなく目を落としては母のもとに行き拾ってもらう。
母は悪気なくその後もスルスル編んでしまうのです。
出来上がったマフラーは【ほぼ母の】作品。
私はそれが嫌で、好きな子に渡すことなく、ふてくされ編み物もやめてしまいました。

家庭科のミシンも特に得意なわけではなく、なんとなくそれなりに課題をこなす。
たまに、気まぐれで刺繍をしてみたりはしたものの続くわけでもなく、私の中のブームが終われば終了。
そんな学生時代でした。

そういえば【プロミスリング】が流行ったときにハマッて自分の分では、飽きたらず友達にも作ってて。
その時、雑貨店の人がプロミスリングを編める人を探してると友達から私へ白羽の矢が。
「お店に置いてもらえるなんて✨✨✨」
ウキウキで。
「売れたらしいよー🎵」
と聞いてはせっせと編んで友達に渡してたけど、売り上げのお金を受け取ったことは一度もなかったな。
いくらで売ってたかも知らないし。
材料費は全部私のお小遣いで。
純粋に編むことが楽しくて、誰かが使ってくれてるってことが嬉しくて。
これが初めての【販売】だったな。
(私はお金もらってないけど🤣)

手芸は好きだったけど器用なわけでもなく、熱中するほどでもなく、どちらかというと"手芸"とか無縁ぽいキャラ。

そんな私が時を経て【編み物】をして【ミシンを踏んで】る。

学生時代から会ってない友人が今の私を見たら、それはそれは驚くことだと思います。

自分のミシンを買ったのは19歳の時。
当時の彼氏(現旦那)に訳あって【パンツ】を作ることになりました。
ズボンのパンツじゃなくてトランクスの【パンツ】
せっせと何着もつくりました。
トランクス屋さん開けるんじゃない?と言うくらい。
全く知識はなく、布帛とニット地の違いもわからない、ド素人。
インターネットはあったけど今ほど発展してなくて、情報も薄くて。
そんな中「凝り性」と「愛情」(笑)で調べまくって。
愛を通り越して「執念」だったかもしれません。

そのあと、また訳あって彼氏(現旦那)にニット帽を編むことに。
当時、スノーボードにハマりまくってた私たち。
スノーボード界で空前の【手編みビーニー】ブームが起きてたのです。
これはミシンよりハマりました。
ハマりまくりました。

自分たちの分だけでは欲求は満たされず、遂に販売を始めました。

時を経て結婚し、子供を授かり、愛する娘たちにせっせと物作りをしました。
ミシンも踏んだし編み物も。

母の工業用ミシンと編み機の音を聞いて育った私は、娘たちの傍らミシンを踏んで、編み物をしています。

DNAなのか育った環境なのか、はたまた偶然なのか。
わかりません。
ただ、母と同じことに辿り着いてる自分が物凄く居心地がいい。

ルーツは母と旦那。
作る理由は【誰かの喜びのため】

少しくすぐったいけど、そんな自分がキライじゃないです。

#私のお店

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