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母ちゃんになって一年が経った

2020年2月2日。小さな命が誕生した。同時にわたしは母という生き物になり、それから一年という歳月が流れた。

瞬く間に小さな命は大きく成長していった。じっと天井を眺めるか、か弱い声で泣くか、ミルクを飲む、寝る、の繰り返しだった娘。
今ではずんずんとおぼつかない足元であゆみを進め、大きな声で笑ったり、ときには怒った表情まで見せる。
身長は倍くらいになり、体重に至っては3倍近い。

どうりでわたしの腕もたくましくなるわけだ。

この一年は間違いなく、わたしの人生の中で特別なものになった。
なのでこうやって文章に残しておこうと思う。


産休・育休〜コロナ禍へ


店舗を持つ個人事業主のわたしには産休、育休というものはない。出産手当金、育児休業給付金もない。ないないづくしである。

にもかかわらず、お店を休んでいる間にも家賃はかかるし、生活費だって飛んでいってしまう。大きなお腹を抱えて必死で働き、休み中のお金の心配をしないでいいように準備した。

その準備のうちのひとつが、『野菜が主役季節のカレー』という本の制作だ。出産前の12月に撮影をし、臨月は編集さんやデザイナーさんに進めてもらい、産後すぐに校正作業をスタートさせた。

編集担当のりさちゃん(戦友)が自宅に来てくれ、ふたりで1ページずつ丁寧にわかりやすく読者に伝える方法を、何度も模索した。

膝の上には常にいっちゃんがいて、時々おっぱいをあげながら原稿を繰る日々。いっちゃんはふえふえと泣きながら、わたしたちがいいアイディアに感嘆しあうとビクッとし(モロー反射)、時々ニヤリと笑った(新生児微笑)


おかげさまで『野菜が主役季節のカレー』は素敵な本に仕上がった。たくさんの人に手に取っていただけているようだし、何より野菜を更に好きになった!というお声をいただけたのがうれしかった。


新刊を引っ提げ、いっちゃんを背負って日本各地に出かけてプロモーション活動や・・・!と鼻息を荒くしていたわたしだったが、みなさんご存知の通り緊急事態宣言となってしまった。

近い将来、歴史の教科書に載るであろう、時代の潮目のような、世界中が同じことで苦しむグローバリズムの終着点のような現在。

先行きが不透明で不安を抱かざるを得ない毎日の中だからこそ、食べることに楽しみを見出したい、and CURRYを楽しみにしてくださる人がいるのであれば、期待に応えたい。

夫と妹に協力を得て、わたしは予定よりも早く仕事を再開した。
3/27。
テイクアウトのみだったけれど、久しぶりのカレー作りに胸が高鳴る。

いっちゃんはお店に置いたベビーカーの中ですやすや眠り、わたしが手を離せない時は妹がミルクをあげてくれた。

夫は休みの日に丸っと1日娘専属、そして家事までもを完璧にこなした。妻をサポート、というレベルではない。共に闘う同士であり、仲間だ。


「ひとりで働けなくなった」

働き始めて感じた大きな変化は、「ひとりで働けなくなった」ことだった。わたしが仕事に没頭している間もいっちゃんは生きている。生かさなくてはならないし、小さな命は成長するためのステップを確実に踏んで存在感を増す。

誰かに「お願いする」ことをしなければ、両立はあり得ない。当たり前のことかもしれないけれど、この当たり前が眼前に立ちはだかるとなすすべを失ったし、不自由だった。冗談ではなく、ペン立てからペンを一本取るのに、5分くらいかかるのである。一瞬でできることに、なんと時間のかかることか。

なんでも力技で一人でやってきたわたしは、お願いすることが超絶下手で、夫に何度も不快な思いをさせただろう。

衝突もありながら、繰り返しテイクアウトでの販売や、オンラインショップの運営の仕事をスタートし、人の手を借りて仕事をすることに慣れていった。

のちにand CURRYは初めてのスタッフ公募をすることになるのだが、その予行演習にこの時の経験が役立っているように思う。

見切り発車のようななんとも慌ただしいリスタート。
そこからはなし崩しに新しいことを始めた。

オンラインショップの拡充、チルドカレーの販売、オリジナルグッズの製作、極め付けはモーニング営業。

夏から始めたモーニングはだいぶん板についてきた。以前のポストにも書いたのだが、いっちゃんのために使う時間と仕事への時間をいい塩梅にするには、朝が最適解であるように思う。

わたしのためにもなっている。普段ランチの営業ではゆっくり話せなかったお客様とも、朝の時間ではゆったりとコミュニケーションすることができるのだ。

ノーゲスの時間は読書したり、文章を書いたり、失敗したパンケーキをもぐもぐしたり、冷めてしまったコーヒーを啜ったりしている。

秋には1週間goodluck curry さんとぶっ通しのコラボイベントも開催した。1月は伊勢丹の催事にもこれまた1週間参加。どちらのイベント中も、スタッフが頑張ってくれて、夫がずっといっちゃんを見てくれて、安心して働くことができた。(お互い疲れ過ぎてぶつかることもあったけど。)

家族で過ごす時間をもっと大切にすべきなのでは?という問いがいつも頭の中を彷徨うけれど、カレーを作り始めると、家族とカレーがあってわたしなのだといつも同じ解に辿り着く。

どちらもわたしにとってなくてはならないスペシャルなもの。

この先もずっとそうであり続ける確信を持てた。
そういう一年だった。


母ちゃん二年目を迎えて

母親として、してあげたいことは山ほどある。
安全に思い切り遊んでほしい。
「だめ!」を最小限にしたい。やりたいことをやってほしい。
人を信じられる心も、美味しいと思える瞬間も、心が躍るようなモノやコトとのふれあいも、丁寧に届けてあげたい。
気づきが生まれる環境をつくってあげたい。

実際はせかせかと仕事や家事に追われ、理想には程遠い。
我ながら情けないとため息が漏れるほど、うまくできないことばかりだ。スタッフとして来てくださっているメンバーに助けてもらいながら、なんとかやっている状況。
頼ってばかりでそろそろ愛想をつかされるのではと震えているけど、一人じゃ何もできないということを痛感している。

わたしは望みが多い人間だ。欲張りだ。完璧が好きだし、理想をいつだって追い求めている。
だから自分に満足なんてできないし、休むことも怖い。
自信もないし、相手に求めることもきっと多いだろう。とっても生きづらい性格だなぁと思う。

そんな自分だということをやっと理解できた36歳の春。いっちゃんという存在が、今まで見てこなかったわたしの側面を、否が応でも照らしてくるのだ。

見えてしまったからにはこれからどう付き合っていくか、考えざるを得ないな。育んでいるつもりが、育てられているのかもしれない。

母ちゃん二年目、課題は山積。
それでもかわいい我が子の一挙手一投足に微笑みが絶えない。


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