たくさん走っても たくさん練習しても たくさん回数をこなしても 行き着く場所はみんなと同じ スタートライン。 頑張り抜いた先に やっと みんなが立ってる土台が見える、 そんな人生だった。 小学校の先生が 「はーい!○○やってみて〜」 と言っていたことが すんなりできる子ではなくて、 いつもどんくさいと言われた。 バスケをするとパスは頭の上に落ちて出血。 何回ボールを蹴って練習しても、気づいたら空気を蹴っててコートに置いてけぼり。 話に夢中になると電柱にぶつかり、 全力
大切な人の 大切な日。 大切な人との 大切な時間。 もう2度と戻ってこない時間を、 その一瞬を、 忘れたくないこの景色を、匂いを、感情を。 どれだけ心に焼き付けることができるだろう。 楽しみな日が待ち遠しいほど その日が来るとなんだか 寂しくて、 幸せだなぁって感じる一瞬一瞬があるほど その時間が終わってほしくなくて 胸がキュッとなる。 でも、 そんな日に一緒に過ごせたことが、 そんな人に出会えたこと、そのものが、 わたしにとってのいちばんの財産で、 誇りなんだと、
わたしにとってみんなとの山行は お宝探しで、 撮った写真はいつか地図の一部になって、 知らない誰かが またこの景色を探して、 旅に出てくれそうな気がしている。 山登り人生の、 最後の山はどこになるんだろう とか 考えたこともあるけど、 最後の山、 まで登ってきた山々の思い出 そのものが、 わたしにとってタカラモノなわけで、 わたしは今 みんなとお宝探しを ずっとしていることになる。 どの山行でも 思いもしなかった景色が見えて、 どの山行でも きつかったり辛いこと
ばぁちゃんは心配症だった。 小さい頃からすぐに居なくなる わたしを見つける天才で、 みんなが寝たのを確認しないと寝ない人で、 みんながちゃんとご飯を食べてからじゃないと食べない人だった。 とっても心配症だったから、 だから、 小学校1年生の登校班に、 必ず途中まで 後をつけてくれていた。 みぎとひだりが すぐに分からなくなる子だったから ハラハラしてたらしくって、 今でも自分にハラハラするから 今ならばぁちゃんの気持ちが わかる。 そんなばぁちゃんの スパイは 見
朝起きても 仕事中でも トイレにいても 夢の中でも いつの間にか お山のことを考えている。 これは恋。 もはや愛。 いつもそう感じる。 そんなお山を わたしは わたしの 日常 として 感じてて 私にとって山ってなんだろう、 という長年の問いに (自問自答してた) ”まいにち” という言葉が 見つかった時 これだー!!! と飛び跳ねたくなった。 ご飯を食べるように登山して、 朝目が覚めて顔を洗うように お山の天気をみて、 今日登っている人
たとえば わたしの今の この気持ちは 写真に撮っても映ってくれなくて 袋いっぱいに詰めることもできなくて デスクトップに保存することもできない。 胸がキュッとなって どきどきして ふぁーっと笑顔になる この気持ちを 保存できたら いいのにー!!!! といつも思う。 そしたらどんな壁にぶち当たっても 保存してやつ、どこだっけ?! って ダブルクリックして 画面から その気持ちが出てきて そしたら、 最強なのになあ。 と、 最近胸が潰れそうになっていたから
もやもやする時。 心にガスがかかって 負のオーラが放出されてるな、 って時。 必要とされてないんじゃないか 私に何ができるんだ ちっぽけだなぁ。 涙が出る時。 涙さえ出ない時。 もう思い出したくなんかなくて 心の引き出しにたくさん閉まって さよなら、ばいばーい! ってした嫌なこと、 たくさんある。 生きてると楽しいことばかりじゃない。 くよくよしちゃだめだ って 頑張って起こした気持ちも、 そんな時に限って 開けてもない引き出しから ぼわって 嫌なやつが 出てきて、
声に出さないとわからないこと、 声に出してほしいこと 言葉と声を持ち備えたのが 人。 人ができること それは言葉で伝えること。 言わないと離れていくものもあるんだなぁと 心から思った日。 言うと愛になっていくんだなぁとも、 思えた日。
ばぁちゃんが亡くなったあの日 わたしは ひとつ決心をした。 後悔というものは ずっと心の奥底に残るから だから 絶対後悔をしない 生き方をすると、 決心をした。 ばぁちゃんが癌の影響でせん妄になって 自分が自分じゃなくなって 必死にもがいていたことを 私は知っている。 あんなに優しいばぁちゃんが 怒り散らかした時も これは本心ではやってないんだろうと 私は分かっていた。 「おかん、戻ってよ」と泣くにぃちゃんの背中を見ながら 涙を出さずにはいられなくて。 何より大切な人
中学生の頃から、 本当はもっと前(物心ついた時?)からかもしれないけど なんで人の気持ちって 簡単に変わっちゃうんだろうって 寂しく思う時がある わたしが今好きと思ってる気持ちは 昔から 今もずっと 変わらなくて 好きっていう気持ちは エネルギーで、 笑顔になれるすごいパワーだと 思うのに 生きて 周りを見てみると そのパワーの儚さを知ったり 変わっていく姿を見たりして 不安になっていた。 お父さんのことも関係してるかもしれない。 だからずっと 変わらないものを探
登りたい場所 見たい景色 感じたい世界 まだまだまだ たくさんあって 人生一度じゃ足りないよ〜 と思うくらい 行きたい場所がたくさんある。 それはきっとひとりでも幸せだけど でも 大切な人とみると もっと幸せってことを わたしは山に登り出して 気づくことができた ファインダーを覗いた先に 笑顔と見たい景色がフワッと 映るこの瞬間に ドキッと胸が高鳴る 今日という日は 今日しか来なくって 大切な人との時間は 今しかないかもしれない そう考えたら 登りたい時に登って 一
山を登ってるとよく言われる言葉。 それは、 そんなに何回も登って飽きない? わたしは声を大にして言いたい。 飽きない!!!!!!! 特にくじゅう連山なんて たぶん何十回は行っていて 目をつぶっていても歩けるくらい 自分でも登ってると思う。 だけど一度だって同じ景色はなかった。 雲の位置、太陽の出方、星の見え方、 照らされる山並み。 いつも一緒のようで全然違う。 毎回違う顔を見せてくれる山がみれるから私は 一度だって 飽きた、なんて思ったことはない。 むし
物心ついたときから いつの間にかお父さんがいなかった。 お父さんとの記憶はあるはずだけど 思い出せない。 でも確かにそこにいた記憶は少しだけ、 少しだけある。 鮮明に覚えているのは ある日 泣きながら 車を運転してたお母さんの横顔。 そこからお父さんという存在が 私にはなくなった。 お母さんとばぁちゃんちに行って、 私の家 は おばあちゃんの家 になった。 寂しかったかどうかと聞かれると 正直わからない。 だけど、 じぃちゃんとばぁちゃんと それからにぃちゃんたち