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売人だった頃の話

あまり人に言える事ではないので記憶は薄まっていく中、ここなら留めて置けるかもと、認めざるを得ない若さ故の過ちとして残しておきたい。

およそ二十代の時間は、音楽とドラッグ、女遊びに呆け、そしてその代償を払うのに費やした。
HIPHOPの暗黒時代と呼ばれる2000年代、それでもアンダーグラウンドでは様々なラッパー、DJ、ダンサー、グラフティライターが鎬を削り、暗黒を突破して一部のアーティストが今、陽の目を見ている。
自分は当然、闇に呑まれた方で原因はセンス云々ではなくただ努力と覚悟が至らなかっただけだと認識している。

20歳のときに友達とラップを始めた頃は、自分自身を激しく信奉していた。
地元のシーンではチカーノギャングスタイルが全盛で、アメ車を跳ねさせスキンヘッドの男たちがシーウォークを踊っていた。
その中を哲学を旨としたリリカルなスタイルで貫く事に傾倒し、厳ついギャングスタがひしめくクラブで誰より自由奔放に振る舞う粋った小僧だった。
その頃には目の前にあるドラッグならその場でなんでも食った。

そのうちそれなりに評価され、LIVEのオファーを受けるようになり、週末には近隣のクラブを飛び回るようになっていった。
そうなると金土曜は昼からクラブに向かわなくてはならなくなり、続けていた建設の仕事ではスケジュールが組めなくなった。
それでも親方には随分と融通して貰って自由にできたが、申し訳なさも募り仕事を辞め、アダルトショップでバイトを始めた。

LIVEがあるということは、クラブで朝まで遊ぶという事だ。
なまじ酒が強かった為、LIVEのギャラはすぐに消え、財布を空にするまで飲み続けた。
自分でパーティを主催すれば、集客二の次でコアなゲストを呼ぶ事がほとんどだったから赤字が続いた。
嗜めば嗜むほど増えていくドラッグの量。
ガンジャ、バツ、カミ、コーク、エス。
とてもフリーターでどうにかなる消費ではなくなり、消費者金融、クレジットもあっという間にパンクした。

そうなると稼ぎ方を変えるしかない。
得意なものといえば音楽とドラッグ。
ラップで食えるようなやつは、そもそもその泥沼にはハマっていなかった。
ジャンキーにはジャンキーが集まってくる。
類は友を盛大に呼ぶ。
そのうちに仲間の1人がガンジャを栽培しようという話を持ってきた。
ジャンキーの中でも口の固そうな、動きに信頼の置ける数人でマンションを借り、出来たものを分け合う。それを売って仕事をしよう、と。
渡りに舟とはこの事だと思った。

栽培については言い出した1人が請け負った。
こっちは家賃を出し、収穫の連絡があれば取りに行く。
軌道に乗った頃には、月に3,40万ほどの分け前を受け取った。
しかし、そんな金が建設的に使われる筈もなく、自分で使う量も跳ね上がり、手元に残る金など殆ど無くなった。自然、生活も更に堕落してゆく。
パトカーや妄想に怯える日々が続き、精神を病んでいった。
あれほど信じていた自分を信じることなど微塵もできなくなり、LIVEをすれば目を輝かせて聴いてくれていたヘッズの眼から光が無くなっていった。

そんな時、車で近くのコンビニまで商品を持っていく仕事があった。
その日は、ホワイトウィドーとスカンクを掛け合わせたというハイクオリティのブランドを嗜みいつも以上に仕上がっていて、なんでもない交差点の一時停止で止まれず、交差点事故を起こしてしまった。
車には言い逃れできない営利目的量の100g、車検は3年前に切れている、そして僕はブッ飛んでいる。
まさに人生の交差点だった。

相手のいる事故だ。警察は呼ばなくてはいけない。冷静になれ。ここで下手うてば奈落だ。
相手の車からは人が動く気配がない。
様子を見に行くと、運転手はぐったりしていてこちらからの呼びかけには応じない。
だが感覚が鋭くなりすぎている僕からは、相手の運転手の意識の気配を感じ取った。
切羽詰まっているのはこっちだと大声で呼びかけると目を覚ました。
本当に申し訳ありません。
悪いのは全てこちらです。
警察を呼びますのでお車を動かして避けてください。

物の10分ほどで警察がきた。
なんでこんなところで一時停止しなかったの?という至極真っ当な質問に、よそ見していました、すみませんの一点張り。
変なことを言い訳するとすぐにボロが出る。
なにせバッチリキマッている。
ひと通りの聴取をなんとかやり過ごし、車検証を見せてくれと警官より要望される。
車検証を提出するしか方法はなく、記載されている文字列に言い訳などできない。
車検が切れているという綻びから全て破綻し、車内を調べられればもう取り返しがつかない。
ここが山場だと緊張する。

聴取を仕切っていたベテランの警官と、若く見える警官。
若い方の警官が車検証を写し始める。
ベテランはその後ろでその様子を伺っている。
正面には僕。集中力をフルに使ってペンを追う。

ん?
若い警官のペン先が震えている。
てか手が震えている。
顔を見てみると緊張した面持ち。
あれ?
こいつ、ど新米じゃね?
これはもしかするともしかするか?
などと考えていると、はい、いいですよー、と車検証が返ってきた。
思わず、いいんですか!?と答えそうになったが、グッと押さえ込んだ。

事故相手との連絡先交換を終え、警察とのコンタクトは終わった。
パトカーをこれでもかとしっかり見送り、走って自車の中から100gを懐に入れたところでレッカー車が車を持っていく。
商売相手に連絡し事情を説明しながら歩いてコンビニへ向かい、取引を終えた。

助かった。
なにに感謝すれば良いのか分からなかったので、自分の強力であろう守護霊に感謝した。

そんな事もあり、この仕事を続けるのは無理だと思うようになった。
ちゃんと真っ当に生きなくてはいけないと。
それから少しづつ手を引いてゆき、時間はかかったが真っ直ぐに胸を張れるような生き方が出来るようになった。

反省は多くしている。しかし後悔はしていない。
無駄な時間だったと思う、しかし貴重な経験でもあった。
やり直せない時間なら、どんなことであろうとその時間から前向きに進めるような経験を拾って行くしかない。
その時期はクソみたいな人間だったろう。
でもその時にあっても、気にかけてくれていた人はいた。
その人たちに大きすぎる感謝を伝えるには、その人たちにとっての誇れる人間になるしかないと思う。
その時の「ありがとう」を忘れずに繋いでいく事が、今のこれからのモチベーションの一端であることを残しておきたい。

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