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行きつけをつくる

 【サードプレイス】コミュニティーにおいて、自宅や職場とは隔離された心地の良い第3の居場所を指す。
 今日では誰しも聞いたことのある言葉だと思うが、それを持っているかと問われたならば果たしてどうだろうか。人それぞれのライフスタイルや趣味趣向で変わってくるものがサードプレイスで、例えばチェーンのコーヒーショップや老舗のバーだったり、はたまた理美容院や映画館、本屋なども、その人が居心地が良いと感じられればそれに当てはまるのだろう。つまりサードプレイスとは「行きつけの店」と同義であると私は考えている。
 だが、例えば「わしは公民館じゃぞ」とか「あたしゃ畑だわね」とかの先輩方がいるかもしれない。むむ、確かにそれも立派なサードプレイスなのかも、と思ってよく考えたら、定年後の憩いの場だったらそこはセカンドプレイスだ(行きつけの公園があるサラリーマンは?なんて質問には答えない)。
 『暮しの手帖』元編集長で文筆家の松浦弥太郎氏は著書の中で「行きつけの本屋があるということは、自慢の趣味をひとつ持っているといっていいだろう。その本屋が古書店であれば、決して退屈しない一生を約束されたようなものである」と語っている。まさに!我が意を得たり!、と思わず膝をたたいた。ちょっとジンジンした。私はこれに補足して「その古書店でお酒を飲むことができて、定期的に通える範囲に住んでいれば、この上ない幸福な人生を送るだろう」と言いたい。私は、私の「AND BOOKS」が誰かのサードプレイスでありたいと思っているのだ。
 つい先日、30代半ばくらいの男性が来店した。初めてのお客さんだ。当店至近のフォーラム八戸で映画を観てきた帰りなのだという。当店への来店理由を聞くと「前から知っていて気になっていた。いい歳になったし、そろそろ行きつけの店を持ちたくて来てみた」と言った。私は「ほうほう、なるほど」と、訳知り顔の落ち着いたマスターを装って聞いていたが、内心では「ビバ男性! うちの店を選ぶとは、いいセンスをしているぞ!」と、心の中で最大限の賛辞を贈っていた。
 今般のコロナ禍で、何かに人を誘うことさえもはばかられるようになった。残念ながら。ならば「おひとり様」を楽しもうじゃないか、と私は提案したい。行きつけを持つこととは、すなわち独り時間を楽しむことだ。もし気になっているお店があれば、ぜひその扉を開けてみてほしい。間違いなくお店の人はあなたを歓迎してくれるだろう。迷わず行けよ、行けばわかるさ(©アントニオ猪木)なのだ。
 でもね、それもこれも全ては健康があってこそだとも思うのだ。そもそも自由に出歩けなかったらそんなことは言ってられないし、出歩けても病院に通わなければならない曇り空のような毎日だったら楽しくない。だって、それは世間では「行きつけ」じゃなくて、「かかりつけ」って言うからね。

デーリー東北新聞社提供
2022年10月26日紙面「ふみづくえ」掲載


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