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ふたつの国の絆

ウズベキスタンには親日家が多い。その背景には、こんなエピソードがある。

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首都タシケントにあるナヴォイ劇場。
ウズベキスタンがまだソ連の一員だった第二次世界大戦後、日本人捕虜が強制労働としてこの劇場の建設に携わった。

当時のウズベク人は、強制労働をさせられているのに真面目に働く日本人を見て、その勤勉さに感心したという。

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劇場完成から20年後、巨大地震がタシケントを襲い街は壊滅状態に。しかし、ナヴォイ劇場だけは壊れることなく、人々の避難所として役割を果たした。

大地震に耐え凛と建つナヴォイ劇場を、ウズベク人は日本人への畏怖と敬意の念を持って見上げたそうだ。

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上のエピソードを知ってから、ずっと行ってみたかったナヴォイ劇場。どっしりとしたたたずまいに威厳と安心感を感じた。

多くのウズベク人が、子どもの頃から「日本人のように勤勉でよく働く人間になりなさい」と言われて育ったそうだが、平和な日々と旅ができることに感謝し、日本人として誇りを持てる日本人でありたいと思った。

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劇場左壁のプレートには、ウズベク語、日本語を含む4か国語でこう刻まれている。

1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイ ― 名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。

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