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笑顔マシーン。形式主義で窒息する日本人。


どうやら『社会人』というパターン化されたキャラクターが、現代日本には定着しているらしい。初めて街にでたおぼっちゃまが、いじめられないように、すれちがう人々の身のこなしから言葉づかいまで真似をしている状態。

真似を集めて集めて、パターン化した。パターン化の極端な例が、とびきりの笑顔マシーンです。

そして、もうため息出てくるレベルなんですが、このパターン化の性質についても、文化人類学者・ジェフリー・ゴーラーは見抜いていました。これも引用しましょう。


『日本人の性格構造とプロパガンダ』p64(ジェフリー・ゴーラー著 福井七子訳 ミネルヴァ書房 2011年)

日本人は理解や管理できない環境においては、不安を感じるということはすでに述べた。
そうした環境に備えて、予見できるすべての状況に適した、
もっとも巧妙で形式的な行動パターンが日本文化には発達している。

これらの行動パターンに従いさえすれば、
日本人には怖いものはなく、陽気で楽しくいられる。

しかし、これらの行動パターンに従うことは、
各個人に相当な自己抑制やさまざまな攻撃的な感情、
憂鬱な気持ち、血気盛んな感情といったすべてを捨て去ることが求められる。
一般的にどのような感情も表現することは誤っている。
痛みや喜び、うれしさや怒りなどの感情表現は許されず、
そうした感情は予想できないことなので、自らが先立って捨てることにより、
他人も同じように放棄するという保証が得られる。

こんな感じの人はそこらのコンビニにもたくさんいる。

ゴーラーは、すでに70年の昔に、笑顔マシーンの出現を見抜いていました。

社会人、笑顔マシーンに見られる日本人の、巧妙(こうみょう)かつ形式的な行動パターンの出現は、おぼっちゃまが外界から自分自身を守るためだった。ゴーラーの言説からは、そう解釈できます。

『社会society』という輸入物の中で不安な日本人は、だから、パターン化した形式的な学歴に強くこだわるんですね。

大学なんかサイエンティストscientistになりたい人間だけが行けばいい。僕の周りには、意味不明なままに大学に通っている、あるいは卒業した人間がたくさんいる。まあみんなそうでしょうね。

これは、とくに文系に顕著です。自然科学natural scienceはまだしも、社会科学social scienceなど、日本人は理解していないから。

大学でたいして何もしていない友人に「おまえは何のために大学に通ったのか」ときくと、「いろんな人に出会えるから」とこたえが返ってくる。

まあそうだよね。それはたしかに大事なことです。人との出会いは大事です。だが出会いなら、自身が積極的に動いていれば、大学など無関係に発生するものであり、高い授業料を払ってまで自らを限定するその生き方は、僕はようわからん。

大学行ったってね、約束されたはずの未来が本当に訪れるのかどうか、誰にもわからんのですよ。

わからんはずのものを約束の地のごとく思いこもうとする、つまり自分で自分を錯覚させるほど混乱していることに、現代日本人は気づくべきでしょう。日本人は、混乱しているんですよ。

混乱して不安に陥った日本人は、パターン化した行動をとるのだと、すでにゴーラーに見抜かれていました。だから日本人は、ハツカネズミとたいして変わらない。学歴や就職への執念は、ハツカネズミとぜんぜん変わらないパターン化された精神構造です。

僕たちは、よけいな虚栄心など捨てて、自分を動物だと認識すべきなんですよ。動物だと認識して初めて、精神構造の迷路をさまよう自分を発見できる。

あなたのその生き方は、あなたの自由意志が選びとったものではなく、『日本人という動物』に特有の行動パターンなんです。

別の生き方だってある。生きることは、そんなに堅苦しくはない。「社会societyから、はみだしたら罪人」だなんて、どこの誰に植えつけられた考えなんだ。あなたらは、一体いつからそんな信仰をはじめたんだ?

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