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心が繊細な人を許容する世界

最近はめっきりやらなくなったゲームなれど、「アウトドア以外の趣味なんですか?」と聞かれたら真っ先にゲームと答える私。
グラディウスのようなシューティングも、ロックマンや悪魔城ドラキュラのようなアクションも、ファイアーエムブレムやFFTのようなシュミレーションも、ぷよぷよやドクターマリオのようなパズルゲームも。
好奇心旺盛な私にとってはそのどれもが新鮮で。
今でも読書を好む故に、ゲームも往年のロールプレイングは相当遊びました。今はソーシャルゲームというものもすっかり定着してしまいました。

据え置きとソシャゲだと学べることが全然違うなと感じています。それぞれのゲームについては今回のテーマではないのでまたの機会に。

■各種ゲームの特徴

【据え置きゲーム】
ファミコンから始まり現在はPS5やNintendo Switchに至るまで、ゲーム機とカセットないしCDが必要なもの。PSについては、PSオンラインからのDL版もあります。対応機種間違ってたらすみません。

・推しゲーム
スターオーシャンセカンドストーリー(SO2)/セカンドエヴォリューション(SOSE)[PS PS4 PSP]
スターオーシャンブルースフィア(SOBS)[PSP GB GBA モバイル(サービス終了済)]
女神異聞録ペルソナ(P1 異聞録)[PS PSP]
ファイナルファンタジー6(FF6)[SFC PS]
ドラゴンクエスト4(DQ4)[SFC Switch モバイル]
ワイルドアームズ(WA)[PS]
テイルズシリーズ[いろいろ]

はい見事にロールプレイングばかりです!RPGは私にとっては自由度の高い本のようなものだからです。
プレイをやめ画面から離れた後でそのシーンが頭の中でリフレインする時、画面よりももっと自由にキャラたちが動き話し出す。攻略ややり込みもよいのですが、これがものすごく楽しい。現実に帰ってこれなくなります。
ですのでストーリー展開やキャラの個性が今ひとつだと一回クリアすれば終わり。それとただでさえ決められたレールを歩かされる窮屈さ退屈さがあるので、ダンジョン攻略やバトル難易度の高さも私にとっては重要ポイントでした。

【ソーシャルゲーム】
最近主流となり社会現象としてその危険性まで指摘されているゲーム。スマホやタブレットにアプリをダウンロードし無料で遊べるというのが謳い文句。実際はそうはならないプレイヤーが多数いる模様。ソーシャルゲームの黎明期はオリジナルのものがメインでしたが、最近はプレイヤー取り込みの観点からヒットしたゲームやアニメを題材としたゲームが主流です。

・推しゲーム
スターオーシャンアナムネシス(SOA サービス終了済)
大連携!!オーディンバトル(おでん サービス終了済)
海賊トレジャー(サービス終了済)

今だとダイの大冒険はとても興味あるんですけどね…ソーシャルゲームは多大な時間を失うことと健康を害することがよく身に沁みましたので。

ソーシャルゲームは据え置きと比較していうと「自分でつくる物語」だと思っています。ゲーム中にストーリーやシステムはあるけどそれは土台で、物語にあたる部分は自分の行動が全て。自由度が高い分いろんな側面やエピソードが生まれます。
また他者との交流があるのが最大の特徴です。それにより悪く言えば金や権力で他人を殴るゲームにもなり得ます。人によってはふらりと立ち寄りまったりと話しながら一緒に遊べる癒し処にもなるでしょう。ただしどのゲームも擬似社会が形成されることがほとんどで、そのために据え置きとは違って特に人間関係において自由ではありません。現実社会におけるやりがい搾取やサービス残業による過労や健康被害、組織のための自腹奉仕の強要などに当てはまる傾向も多数。
視点を変えれば、こういった擬似社会があるためにひきこもりをしていても人の良さや醜さや付き合いを学べる場でもあります。最近だとSNSを併用することが多いのでその勉強にもなります。


【オンラインゲーム】
ソーシャルゲームを除くゲームにおいて、パソコンやゲーム本体の通信機能を使いオンラインで他人とともに遊ぶゲーム。
未プレイのため書ける立場にないけれど、概ねソーシャルゲームのあり方と似ているのではと思っています。

■ゲームからの学び

据え置きゲームはここにはない世界と無限の可能性、想像力を私に与えてくれました。大ヒットした往年のゲームが今ソシャゲ化されるのは、プレイヤーの数だけその頭の中に無限に広がる世界があるからかもしれないなと思っています。

さて最近問題視されることの多いソーシャルゲーム、上記の各種問題は金銭面や健康面から現実における人間関係や暮らしを破壊する可能性があるため、社会問題として取り扱われています。
しかしニュースなどを見て思うのですが、この問題の深刻さと依存性は実際にプレイした人以外には全然伝わらないだろうなと。子供だってゲームに没頭することが良くないことはわかっています。過度の飲酒やタバコがやめられない大人となんら変わりありません。酒やタバコと違う点といえばスマホ1つ、たった3分ほどで接点ができてしまうことでしょうか。流されて怠惰な暮らしや人間性に向かいやすいソシャゲ、自律心を鍛えるにはこれ以上なく有効なツールだと思います。

ソシャゲは悪だ害だといいたい訳ではないので社会問題から離れた学びを。各ゲームでの交流を経て思ったのは、ソシャゲをやる人は社会に心の落ち着く場所がない人(自分も含めて)が多いなあということです。貧富は関係なく、高給取りプレイヤーや公務員・プロ選手などもいました。そして面白いことに、優しく素直で謙虚な人、人間性がいい人ほど目立たずひっそりとプレイしているように思います。もちろん私の主観なので全ての人がそうという訳ではありません。

多くのソシャゲではガチャがありランキングシステムが導入されていることから、例えて言うなら現実世界でのマラソンや試合などをバーチャルにやってる感覚に近いと感じています。ただし現実とは違って条件は平等ではないんですけどね。現実世界での「暇な時間」が膨大であれば、どんなに下手な人でもそのゲームの頂点の一角になることができます。現実だとオリンピックに出てその競技の裾野を広げるなどといった大きな目標があり競技人生という長期的な視野のなかでその試合に出て勝つことを目指します。賞賛などはただの副産物。でもソシャゲの勝負は目標がなく勝つことが目的で賞賛や名誉が毎回目標として設定されそれを延々と繰り返している感じだなぁと、現実でマラソンをしながらふと思うのです。

■ゲームの世界はやっぱり必要

前を向いてとか希望をもってとか、そのために地道な努力がいるとか諦めないこととか。
自分をよくするための高尚な答えはいつの時代も繰り返されていて、最近はそれに対して「もっと自分らしく、肩の力を抜いて」という自己啓発本もよく見るようになりました。というか自己啓発本が一種のブームになっているような。自己啓発本が売れる理由は「自信のなさ」だと思っています。と書いてる私も自信がなくてよく自己啓発本読むんですけど(笑)

厳しい現実を目の当たりにしていつでも立ち向かっていける訳じゃない。答えが見つからなくて悩んだり、現実の猛攻からとりあえず避難できる場所が欲しいと思うのは当たり前のことだと思います。
そんな時、ゲームは一種のシェルターとして私たちの心を守ってくれて、充電完了できた時また現実へと戻っていく。ゲームが現実の世界と化学反応を起こして新しい視点やアイデアを生み出す。

ゲームをただの遊びというのはもう古い。それほどまでに現実は目まぐるしく変化し厳しさを増しているということだと思っています。
これから先、ゲームの存在やゲームからの学びはより一層大切なものになっていく。そんな気がしています。

#ゲームで学んだこと  #据え置きゲーム #ソーシャルゲーム

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