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シングルマザーが経験した世界の分断の話

ここ最近で体験していたことを「そうか、これは分断の話なんだ」と理解したら、なるほどと思って残したくなった。

シングルマザーになった。
離婚経験組、バツイチ組、シンママ組、これらに仲間入りした。
私より前からその組だった人たちは、
「おつかれ、いらっしゃい」と何も聞かず温かく受け入れてくれたり、
「いえーい!こっち最高だよ、カモンッ!!」と勇気づけてくれたりした。
直後でもなければ、わざわざ離婚経験があることを人に話す機会もないから、
「離婚されたってfacebookで見ました、私もで」と言われてその人が離婚経験者だと初めて知るということもたくさん起こった。
緩やかな連帯感、詳細は知らないけどなんとなく分かち合ってる感。
私もほっとする感じがあって、それは離婚仲間がいるってことじゃなく、
「わざわざ言わないけど、みんないろいろあって、いろんなきっかけでふと近くに感じるっていいな」というひっそりとした温かさだった。

私が自分のことを開けっ広げに話すので、「シングルマザーってどうなん」って話をいろんな人と話した。何年もやってる先輩たちの話は役に立つしあっぱれだし、歴の浅い人とは関心や悩みが近いから話が尽きない。
そんな中で、同じくシングルマザーの1人から届いた言葉。
「あなたがシングルマザーを語らないで」
私、言葉を失う。
「、、、だって、シングルマザー、だよ?え?」
ってやつである。
(ちなみに私が受け取った趣旨を伝えるためにこう書いたけど、実際には長文で何重にもオブラートに包みぐるぐる巻きにされリボンまで付いて届いたので、「攻撃してやる」という感じではなかったです、補足)

彼女が言いたかったのはこうだ。
「あなたは恵まれてる、養育費だってもらえて、調停さえしてなくて、(なんとかでなんとかで)、だから戸籍上はシングルマザーだけど、私たちシングルマザーとは違う」
なるほど、彼女の世界には、「私たちシングルマザー」っていう括りがあり、戸籍上のシングルマザーの中に含まれる人と含まれない人がいるのか。

この景色、私は見たことがある。
母になってからずっと見ている。
ワーママ、専業主婦、実家近い母、シッター使う母、こういうやつだ。
母乳の母とミルクの母も昔懐かし、同じ類だ。
シングルマザーの世界も、母の世界も同じ、まったく同じ。
ってことは、女の世界も、人の世界も、全部同じ。

シングルマザーに話を戻す。
よく知らなかったけど、養育費が支払われていないケースはとても多くて、そんな人たちからすると、
「養育費もらえてるだけいいじゃない」なのだ。
こう言われたときの返し方と言えば、
「養育費なんていつまで続くか分からないし、、」と少し自分を下げてみるか、
「お金はくれるけどいつまでも首突っ込まれてて」と別の不幸を入れてみる、など。
この世界を想像してみると、この会話に違う人が違う角度で入ってくる。
「離婚できただけいいじゃない」
どうにか離婚したくてもできない状況にいる既婚女性の登場だ。
そこにさらに出てくる、「子供が持てただけいいじゃない」の妊活女性、
「結婚できただけでいいじゃない」の独身女性。

ここに残るのは、
「あなたは私とは違う」と切り離された側のやり切れなさと寂しさ。
「私はあなたと違って大変なんだから」と切り離した側の繋がれない痛み。
「私はこんなに大変なのに誰も分かってくれない」という強烈な分断。

「シングルマザーって意味では同じなんだからさ、みんな仲良くしようよ」
「女同士なのに、女の中に線引くのやめようよ」
って言いたいんじゃない。
違うんだ、線って、線を引くというのは、本当は違うのだ。
線は、同じカテゴリーの仲間意識と、線の外への排他的な眼差しを生むために引くものじゃない。
そこに違いがあるということを明らかにし、それぞれを選択したり、それぞれに合わせた行動を可能にするために、線を引くのだ。
「シングルマザーはみんな一緒なんだから!」ってやってたら、それぞれの状況に合わせた支援ができない。
養育費っていう線でシングルマザーを分けて初めて、「養育費がもらえない人ってそんなにいるの?どれくらい困ってるの?」って具体的に分かる。

線は分断のためにあるものじゃないから、いろんな線を敏感に察知して、自分はどっち側か、この人はどっち側か、なんて、やらなくていい。
人を分類する線なんて引こうと思えば無限に引けて、引き終わったあとは、全カテゴリーに人が1人ずついるだけ。みんな違うから。

分断のために線を引くのをやめて、自分と誰かの幸せのために線を引こう。
それぞれから見えている線は、誰かの何かに光を当てて、その人を助けたり幸せにしたりできるはずだから。

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