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初めて歯が抜けるということ

このクリスマス、5歳2か月の娘の歯が抜けた。初めての「歯が抜ける」という体験の話。

保育園の友達の中にすでに歯が抜けた子がいて、自分にもそれが起こるということを娘は理解していた。
当件についての娘の理解と思いは、
・子供の歯がぐらぐらしてきて、抜けて、大人の歯が出てくる
・抜けた歯は枕の下に入れて寝ると、妖精が来てコイン置いてくれる
・歯が抜けるのはお姉ちゃんになるということ
・歯が抜けるのは怖くない、楽しみだ
くらいだったと思う。
最近、
娘「ぐらぐらするからね、パン噛めないからね、奥歯で噛んでる(すんごい変な顔して口にパン突っ込んで食べてる)」
私「パン、ちぎって口に入れたらいいんじゃない?」
娘「なーるーほーどー」
という会話をして、私はなぜか「抜けるのまだまだ先だろうな」と思い込んでいた。(根拠不明)

クリスマスに私の両親宅でチキン食べてた娘が、急になんとも言えない顔で何かを吐き出し、「歯が抜けた」と言った。
直前に「チキンかじれないね、小さく切るね」と話していたので、その場にいた祖父母、母(私)、私の弟夫婦は大盛り上がり。
「もう?!今?え!!!!すごいじゃん!!」
「やったねー--、いえー---い!おねえちゃんだ!よかったね」
「忘れられないクリスマスになったねー」
「飲み込まなくてよかったね~あはは」

娘、このテンションにまったくついてこない。
口半開きで、変な顔して、固まってる。チキンを刺したフォークを握りしめたまま。
見るとけっこう出血してるようだったので、痛かったのかな、血の味が嫌なのかな、と思い、「水飲む?」と聞いたら頷いた。
でも口に含んだ水を飲み込めない。同じ顔して固まってるアゲイン。
「口、ゆすぎに行く?」と聞くと再び頷く。
本当に固まってるから、フォークを離させ、イスから下ろし、手を引いて洗面所でうがいした。
それでもなお、固まってる。アゲインのアゲイン。
「もう血は出てないよ、きれいに抜けてるから心配ないよ」と伝えても固まってるから私が不安になってきて、リビングに戻って自分の膝の上に座らせた。
、、、ん????正気???
と思うくらい、どこ見てるのか分からない状態で固まってた娘の目から、ぽろぽろ涙がこぼれた。
それはもう、ぽろぽろという言葉そのもので。
表情変えずに、ただ、ぽろぽろ泣いた。
ひょうきんな娘だし、歯が抜けたらはしゃいで喜ぶと予想していた私は動揺。
「びっくりしたの?」と聞いたら、「うん」といって頷いた。
でもその言葉も、頷きも、全然「そうそう」って感じがしなくて、「やってしまった」と思った。
初めての、なんだか分からない口の感覚
初めての、なんだかよく分からない気持ち
初めての、内側から湧いてくるなんか
涙が溢れるくらいにそれらに浸っていたのに、まとめて「びっくりした」という言葉を充てて私自分が安心しようとしたように思えて、
「おいおい、浸らせてやってくれよ」ともう1人の自分がつっこむ。
「でもまあ、びっくり?違う?って差し出すのは悪いことじゃないもんな」と気を取り直し、何があるのか聞き、出てくるのを待ってた。
娘から出た一言は、「うれしい」だった。

予想外の「うれしい」の一言に震えた。
娘がうれしいと思ってるのはもちろんいいことなんだけど、そうじゃなくて、「わけわからない自分の感覚を何か言葉にしようとして一言を発した」ということに感動したんだと思う。
固まって泣いてる様子はうれしそうに見えなかったし、混乱、動揺、不安があるように感じられた。それもあったんだと思う。
それでいい、言葉にできることも、それがしっくりくることも、こないことも、言葉にできないことも、いっぱいあるよね。
固まる娘を抱きしめながら、それらを感じながら、「うれしい」という言葉を聞いて、この瞬間に立ち会えたことを本当にうれしく思った。

自分の歯が抜けたときのことをまったく覚えてないし、誰もが普通に通る道だから、こんな風に捉えるのは大げさかもしれない。
でも、娘のすべての体験を、大いに大げさに祝福したいと思う。
言葉にできない内側の感覚を一緒に大切にするということは、私のそれを大切にすることと同じで、子育てのギフトなのだろう。

余談だが、「歯が抜けたら妖精がコイン」という文化は私には馴染みがなく、「下の歯は屋根の上、じゃないの?」って感じでスルーしようと思っていたのだが、
サンタの存在よりもコインの妖精を信じている娘、
歯が抜けたのはクリスマスイブ、
これはもうなんか、やるしかない雰囲気である。
「金のコインなんてないんですけど」と思いながら枕の下に100円置いた。
翌朝、娘はクリスマスプレゼントよりも前に枕の下を確認して喜んでいた。

これ、歯が抜ける度に100円ってこと?

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